高次脳機能障害を考える
サークルエコー
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SSKU

     

VOL.22(2005年11月号)

[主な内容 ]

H17年 秋の合宿

Echoes from the ...大牟田を訪ねて

・厚労省と懇談

・支援の下に変わる夫と家族(横浜シンポジウム)

・行事・会合報告                                    

・画期的な記録集ができた(フジTVスーパーニュース)

                                                                                                                                                           

――― わたくしたちの会は―――  事故や病気によって脳にダメージを受けると、新しいことが覚えにくくなったり、意欲が低下したり、感情のコントロールが難しくなるなどのため社会生活の様々な場面で問題が生じることがあります。このような後遺症を高次脳機能障害といいます。目に見えにくい障害のため、社会の理解を得にくいこと、したがって現行の福祉制度を利用することが難しい点が大きな問題となっています。サークルエコーは、高次脳機能障害をとりまく様々な問題の中で、特に日常生活に「介護」の必要な重度の障害について取り組んでいます。

週末の活動場所 「えこーたいむ」 第1・3 (土 ) pm 1時〜5 時

渋谷・神宮前作業所   (p8 地図参照)
事務局:〒201−0013
東京都狛江市元和泉2−7−1 TEL 03-3430-8937

平成17年 秋の合宿 ・11月4日〜5日  

 本年の合宿は昨年と同じ富士高原ファミリーロッジで行われました。2日目の天候が気になっていましたが2日間とも天気に恵まれ、紅葉も見られ無事終了することが出来ました。今回は急用で欠席となったり、到着時間が遅くなってしまった方もおりましたが、おおぜい(合計27名)の参加者でした。外部の方に多く参加戴き、いろいろな角度からお話が聞けたことが特徴です。そして懇親会の時間には皆さんが揃い、充実した時間が経過しました。翌日は1時間チェックアウトを延長していただき、話し合いをし、その後、希望者だけ(車3台)で富士2湖(河口湖、西湖)をドライブし、昼食後解散となりました。(幹事・高橋記)

 

 エコー合宿(於富士吉田)に参加して 

伊地山 和茂

11月4〜5日の一泊2日で恒例のエコー合宿が開催されました。合宿には当事者・家族会員18名と3名のサポーター、そしてゲスト6名の総勢27名が参加いたしました。滋賀県の山内さん一家、山梨県の村田さん一家とは合宿以来久しぶりの再会でしたが、当事者のお二人は前回お会いした時より元気な姿を見せてくれました。日頃はメールでの情報交換ですが、山内さんからは滋賀県の家族会を中心とする地元での近況と高次脳機能障害への取り組み、地域に広く理解して貰うための広報や啓発活動の報告がありました。

 全体の研修時間には、ゲストの活動や報告を中心に進められました。


・高次脳機能障害の相談事業の窓口と充実を!

高次脳機能障害は「原因が多岐にわたり、症状は様々」(渡邉先生)であるため「退院後の当事者には病院内の高次脳機能障害のマニュアル本ではとても個々の当事者に対応しきれない難しさ」(野々垣所長)があります。又、「当事者を影で支える家族のことが分っておらず、家族も当事者と云えるのではないか?家族は経済+アルファの社会生活・仕事を続ける・近所付合い等で心理的負担が大きく地域でのケア体制が弱いと過重な負担となる。親亡き後の支援をどうするか?生活支援員、相談機関の充実が重要」(麦倉先生)と訴えられました。グループホームの取り組みについても議論されました。

・自立支援法について

ジャーナリストの伊藤さんは自立支援法関連の本の出版を企画され、「自立支援法が機能するには、工賃を上げる必要がある。又、障害者への就職支援をどうするか?高次脳機能障害当事者にどう対応したら良いのか?千葉県では予算を取りQ&Aパンフレットを作りたくさんのケースを載せている」との情報を寄せられました。


・一層の高次脳機能障害の理解と取り組みを!

参加者は、時間を惜しむように、研修時間、食事しながら、飲みながらも当事者家族・サポーター・ゲストとの互いの情報や意見の交換をし合いました。研修を通じ医療(松田さん、一場さん)と福祉の第一線の現場の方々との交流の輪ができたのも大きな収穫でした。高次脳機能障害の理解と問題解決のため、これからも当事者と家族、社会(サポーター)、医療、福祉の絶えざる交流と情報の発進の必要を実感しました。



 

 Echoes from the ...大牟田を訪ねて 田辺 和子

夏のおわり、9月2日、昭和38年の爆発事故により一酸化炭素(CO)中毒になられた患者さんたちとそのご家族を大牟田に訪ねた。今も入院している三池炭鉱事故の被災者たちのことを耳にしたのは、サークルエコーが発足したばかりの頃だった。エコーの若者たちによく似た症状を持つ人たちが、九州の病院で何十年も入院生活を送っている......。

数年後、その人たちの姿をNHK番組1)で見る機会が訪れた。事故後10年目、昭和48年に取材した番組が、さらに30年ほど経って再放送されたのである。それまで、心のどこかでまだ昔の息子がそのまま帰ってくることを夢見ていたのだろう、被災者たちの10年後、40年後の映像は、私の心に重くのしかかった。

「この方たちを訪ねよう」。しかし、なかなか決断できずに月日は過ぎ、番組を見た後、5年も経て、やっとこの日、大牟田駅に降り立ったのだった。

家族会事務局長の清水さんのお宅で、4人のご家族たちにお話を伺うことになった。はじめての訪問であるその日は、ご主人たちの40年間の症状をお聞かせいただきたいと申し込んでいた。しかし、口々に語られるのは、一家の大黒柱が病に倒れただけでなく、思いもかけぬ症状に苦しんだ日々、そして、国や企業と闘ってこられた歴史であった。それらの日々を語る方々は、70代80代になられている。ご苦労の人生を、確信に充ちた骨太の道に変えられたようで、ユーモアさえ交えいきいきとしたお話しぶりだった。 

そのあと、車で40分、皆さんに大牟田労災病院に案内していただく。病棟の廊下を歩くと、開け放されたドアの奥に4つのベッドが並んでいる。その間を立ち歩く老年の患者さんたち、ベッドを整えている付添婦さん。ごく普通の病院風景。しかし、このような日々が40年も続いているのだ。

ここには曜日ごとのリハビリのメニューがあり、この日は、音楽活動の日。三々五々、歩いて、または、付添婦さんに車椅子を押され、病棟中央の広い部屋に患者さんたちが入ってくる。3列に並んだテーブルに向かい合って腰を下ろしても、互いに話をする人はほとんどいない。それぞれの前に分厚い歌詞のファイル。数十年分が綴じてあるらしい。前の方のページは、黄土色に変色している。ページをめくりながら、講師に合わせて、謡、昭和の歌謡曲、平成の演歌など1時間ほど皆で歌う。休憩の時間、半数ほどの人たちは付添婦さんに連れられて無言で部屋を出て行った。

座席に人も疎らとなったとき、清水さんのご主人、正重さんが、ハーモニカを吹き始めた。「知能は低下し、視力もなくなってしまった。でも唯一、残ったのが音感。」と妻の栄子さん。炭鉱で働く一方、多彩な趣味人だった正重さん。80歳の今、若いころ覚えたハーモニカで無心に「われは海の子」を吹く。軍歌、フォークソング、次々にメロディーが流れる。その見えない澄んだ瞳に、正重さんたちが病院だけですごした歳月が浮かび、息子たちの行く末を思わずにはいられなかった。

この日、私が出会ったのは、40年の歴史だったのか、40年の未来だったのか。帰京して、知人に大牟田のことをメールしたら、折り返しFAXが入った。「明日、友人が作った映画の試写会があります」。タイトルは、「三池〜終わらない炭鉱(やま)の物語」2)。なんというタイミングだろう。ひょいと転がり込んだにしては偶然が過ぎるではないか。

映画は、97年3月に閉山となった三池の、100年にわたる炭鉱の歴史だった。囚人や朝鮮人を強制連行して働かせた戦前・戦中の時代。激しい三池闘争。組合の分裂。そしてあの炭じん大爆発。458人の死者、839人のCO中毒者。

画面を通し数日前に会ったばかりの清水さんご夫妻に再会した。外泊中の正重さんと栄子さんの茶の間での語らい。指で狐の形を作らせようとする妻、真似ようとして、出来ずに照れ笑いする夫。二人の姿は母子のよう。

帰りの電車の中で、何気なく、映画のパンフレットを眺めていて、ふとタイトルの英語訳に目がとまる。3日後の「アジアフォーカス・福岡映画祭2005」に出品されるこの映画の英語のタイトルは、「Echoes from the Miike Mine (三池炭鉱からのエコー)」。私たちが7年前、高次脳機能障害の若者たちのために立ち上げた団体の名前は、「Circle Echo (サークル エコー)」。

閉山した炭鉱から聞こえてくる声を聞こうとした熊谷博子監督の思い。ことばをなくした息子たちの声を聞こうとした私たちの願い。私にも、ことばにできないものが胸いっぱいに広がった。  

 1)NHKドキュメンタリー「空白の歳月」1973 (再放送NHKアーカ 2000.12) 2)熊谷博子監督「三池〜終わらない炭鉱(やま)の物語」2005


厚労省と懇談 
 


 117日、高次脳機能障害支援モデル事業委員の日本脳外傷友の会・東川悦子氏、高次脳機能障害者と家族の会・今井雅子氏、サークルエコー・田辺は、新任の社会援護局障害保健福祉部企画課・武井貞治氏を訪ね、モデル事業の行方、自立支援法などについて意見を交換しました。
 モデル事業後の全国展開にどのような予算づけがあるのかという質問には、概算請求の8月には、自立支援法が成立していなかったので、個別の予算は出せなかったが、年内には政省令の細かいものも出され、高次脳機能障害に関しても予算がつけられることになるとのことでした。自立支援法における「障害程度区分」については、3障害を盛り込んだ新しいコンピューターロジックを作っているとのこと、12月上旬及び1月の障害者部会で、方向性が決まるそうです。障害3部門の統合というような話は、10年前の障害者プランのころから言われているのに、今だに、手帳制度は残しての相互利用とは、と疑問を述べると、手帳制度が残る方がよいという人たちも、反対する人たちもいる、したがって、制度的には手帳(分類)を残し、使い方は柔軟にという、中間に着地するという傾向はあるとした上で、高次脳機能障害の支援施策については、行政も家族も、18年に全国普及という同じ方向を向いているので、いい方向へ進むでしょうとの見通しを語られました。  (田辺)

 

 支援の下に変わる夫と家族・・・9月23日・「地域の中の高次脳機能障害」セミナーでの発表より 

 塚下 枝利花

●突然の受傷

夫は4年前38歳のときに急性心筋梗塞を発症しました、救急車の中で救急隊員に応えることの出来ない私の代わりに必死に病状を話していたくらい気丈な夫でした。

急変し一時、心肺停止状態となり、奇跡的に意識が戻ったものの現在、言葉での疎通はできなく、常に見守りが必要な状態となってしまいました。

●病院側への不安

植物状態になるかも知れないという危機を乗り越え、1ヶ月を過ぎたころには、一般病棟に移ることができました。ところが、その頃から様子がおかしく、自分に行われている医療、看護すべての意味が理解できない様子でした。言葉での疎通が出来ないため検温でさえ、看護士に抵抗し、オムツ換えは1番いやがり、うでに噛み付くこともありました。また大きな奇声をあげて訴えることもありました。この大声が常に大きな問題となりました。この頃の夫は人に触られることを極端に嫌がりました。目に入るものは口にいれてしまうといった本来人間が持っている理性は失われ、人として生きていく上で大切な機能がこわれてしまったかのようでした。

病院の中ではなにもケアが出来ない患者、看護士によってはなにもさせてくれない患者となっていました。このあたりから病院側と家族との間に見えない壁が出来てしまいました。

そんな状態でしたのでベッドの上では本人の安全を守るため抑制となっていました。家族がいれば抑制の時間が少なくなるので毎日通いました。ある時期、水や食べ物を飲み込むことを嫌がり、それでもどんどん口に運び、頬をいっぱいにして数時間そのままでいることもありました。面会時間も過ぎようとしていたので、看護師さんに薬を服用することをお願いしたのですが目を合わせることなく「いくら飲ませても飲まないからほっときます」と子どもの前で言われたときは、本当に悔しくて悲しかったです。部屋に戻ると大声を出す主人に患者さんからも苦情が出るので遠回りして人のいない場所で時間を過ぎるのを待つということが続きました。

今思えば病院側も日常の業務に追われ、以前の主人を知らない看護士が、まして高次脳機能障害という後遺症の認識もない頃でしたので拒否的な行為も全部理解することは、難しいことだったかも知れません。

●救急病院の大切なかかわり

けれど救急病院の役割は非常に大切であると思います。ここでの時間は患者自身家族にとってこの先生きていく上で、大事な時間なのです。後遺症が残ってしまったことで、本人はもちろん家族にも、向き合えるまでの時間が必要です。言葉をかけたら当たり前に返ってくる、そんな夫が一変して自分の存在すら理解しているのかも確かめることすら出来ない状態に突然なってしまい、それを今一番すがりたい医療スタッフに背中を向けられたら本当に苦しいことです。それでは本人も家族もただただ混乱の時間が長く前へ進む気力すらなくなってしまいます。患者が築いた人生があることを忘れないでいて欲しいし、障害について情報提供できるような体制でいて欲しいと思います。またリハビリ病院、地域など他機関との連携をもっともっと浸透させ、つなげていくことによって、きっと優しい余裕が双方に生まれ、何が必要なのか大切なのかが見えてくると思います。その中で本人はきっと落ち着きを取り戻せると思うのです。

●転院先が見つからない                                                      内科的治療が終わり、ようやくリハビリをしてもらえると希望をもち転院した先ではリハビリが成り立たないと言われ1日の入院でした。その他リハビリ病院、精神の病院でも受け入れ先はなく情報も乏しく保険外の入院費が高額な病院しか今は受けてもらえないと言われました。世帯主の倒れた我家には厳しいことでした。担当医師に相談しても自宅に帰るのが1番という返事でした。けれど家族にしてみれば、その時点で家庭に戻るという選択は、なにもしないでこのまま時間が過ぎるのを待つということにしか思えませんでした。

●優しい病院との出会い

障害についての説明は医師からはなく、診断書で目にした高次脳機能障害という診断名だけが手がかりでした。友人がインターネットで検索した先に神奈川リハビリテーション病院があると教えてくれました。ここがだめだったらと、ほぼあきらめかけていたところ、私のみの受診を了承してくださいました。本日進行にご協力いただいております、大橋先生の受診でした。1時間以上の時間をかけて私の話を聞いてくださいました。なにが出来るかわからないけれどやって見ましょうと、その日に入院許可をしてくださったときは病院案内の途中でSWさんに入院がやっぱりだめになるということはありませんか?と聞いてしまったほどです。」SWさんは笑いながら「ないですよ」と答えて下さいました。担当の橋本先生をはじめ病棟のスタッフの方々、リハビリの先生はいつも笑顔で接してくださいました。初日からベッドでの抑制はありませんでした。日々本人の様子を見ながら、6人部屋から始め個室が落ち着いて過ごせるということになりました。

●もうひとつのリハビリ

入院1ヶ月くらい過ぎた頃から私自身にも気負わずにいこうという気持をもつことができるようになりました。病院内の知的障害者作業所内での訓練は本来行われていないのですが、主人の状態からなにかヒントがあるのではと訓練室以外の場を確保してくださいました。まず楽しい場であるということを大事にしてくれました。他のリハビリの先生方も訓練内容と離れ主人のことを知ろうとしてくれました。やはりリハビリ病院で通常行われているリハビリメニューを理解することは難しく、人に対してとても強く拒否的なことが多かったので先生方もまた大変なご苦労ではなかったかと思います。

●退院後の不安

半年の入院生活が終わり、主人にもたくさん笑顔が見られ、難しさは残るものの在宅へという段階になり、正直このときはスタッフの皆さんもいない家庭に一緒に暮らしていけるのかとても不安で子供が小さくこの子たちはどうなっていくのだろうとそんなことばかり考えて眠れない夜が続きました。もう1度一緒に暮らしたいという思いと主人のために頑張って下さったスタッフの皆さんの気持ちに応えたいという気持ちが大きかったのもありました。

いつでも力になるからという言葉を胸に退院を決めました。

●予想外の在宅介護

やはりともに生活するということは大変なことでした。主人にとっては病院からまた違う環境での生活となり、混乱はありました。当たり前にしていた生活が一変しました。生活の場と病院との環境の違いは、実際生活を始めてみないとわからない、予想もつかないことの連続でした。息子たちは父親が帰ってきた喜びが一瞬にして不安へと変わり、生活も制限ばかりとなりました。なんでも口にいれてしまうことはかなりの神経を使いました。

夜中もかまわず大声をあげ、あの頃は暮らしていく難しさばかりが日々増していくようでした。

なかなか寝付かない夫は夜中でも自宅の1Fと2Fを何度も何度も行き来し、目を離すと洋服のままお風呂に入ってしまうし、オムツをちぎって食べてしまったり、隣にいるものの指や髪の毛まで噛むといった行為が続き、とても子供と同じ部屋は無理で、私が寝る時間に付き添うようになりました。入室後はただただ見守り一緒にいることでした。ドアを開ければまた大声と他の部屋に入るので子供たちが眠ることも出来なくなるので、外からかぎをかけてもらいました。入室後はトイレにすら立てない夜が続きました。幼い子供たちは主人の大声を警察に通報されちゃうのではないか、もしそうなったらお母さんの友達も離れちゃうよと口にしました。たぶん自分に重ねていたのだと思いました。父親の大声を聞かれたくないと友人を家に呼ばなくなりました。こんな胸の痛みをどうしてあげることも出来ず、一緒に過ごした以前の主人はいなく、それでも家族でいようと決めたことを後悔しそうにもなりました。ぎりぎりの精神状態であったように思います。

●母の手

こんな状態を聞いて私の実家の母が手伝うからと泊り込みでうちに来てくれました。この手伝うからから5年が過ぎようとしています。生活の場をかえ、60も過ぎた母に苦労をかけることは娘として本当に申し訳ない気持でいっぱいでした。そんな時、母が夫のことをいつでも力になってくれたじゃないと言ってくれました。主人と幼い息子、母、私の生活がスタートしました。主人もだんだん暮らしていく中で、安心して過ごせる自分の居場所だと認識し始めた頃から、笑顔もたくさん増えました。きっと、私自身もひとりではないという安心から夫への接し方もまた違っていたのかも知れません。

●支援の場を求めて

暮らしていく上で主人の日中の場が必要でした。福祉事務所に相談したところ重度の障害の理解がなかなか得られず、ここに頼ることは出来ませんでした。この頃の福祉担当者は、本人に会うこともなく、あらゆる手続きの段階で窓口でストップしてしまうことは本当に多々ありました。こうした時もリハビリ病院のSWさんが中に入ってくださり、障害について説明をしてくださり、ようやく手続きができたということもありました。唯一保健婦さんだけは耳を傾けて下さり、精神科による重度痴呆デイサービスらくだの家がオープンするという情報をくれました。大声という問題は、精神科であれば理解はしてくれるだろうと私自身も精神科の認識がなかったように思います。

デイサービスの場は精神病院と併設されているのですが、2Fの院長室まで聞こえる大声、これでは通院される患者さん、そして一緒に過ごす利用者さんが不安に感じるかも知れないというお話で、いったん断られる形になりました。こんな状況の中、リハビリ病院の先生方がデイサービス先に訪問してくださり、主人への接し方等、説明に来てくださり、そのあともらくだの家スタッフ、家族と意見交換を交わす機会にも参加してくれました。

本人とのかかわりについて話し合い、長い時間をかけての利用となりました。慎重にならざる終えない状態ということは家族も理解していました。利用もいつまでうけていただけるか不安の中、週1回の利用がスタートしました。大声の問題、多動の問題では、利用が難しくなった時期もありましたが、今ではソファに座り大好きなスタッフさんの肩にもたれながら居眠りすることもあるほどです。しばらくして身体障害者療護施設のデイサービスにも利用が可能となりました。ここでは構築上、目が離せない夫の利用には難しさがありました。歩きだして施設外に出てしまうことでは、夫利用日に自動ドアを手動にするなど工夫してくれました。今ではショートスティも利用しており、この時間は家の中で食事や部屋の移動に注意をしなくてもよく、なにより息子たちにとっては主人に注意を向ける必要がない時間です。成長の中でそれは必要な時間であると思います。このような時間がとれることで、帰宅すればおかえりなさいという気持ちも持てるようになりました。どちらの施設でも主人のような障害の状態は初めてということでした。一緒に過ごす中で主人を知っていただき、家族との連絡帳を通し、家庭での様子も伝え、施設では1日の様子を細やかに書いてくれました。主人にも「いってきます、おかえり」の安心感が生まれ、家庭以外で安心して過ごせる場所となり、今では喜んで送迎車に乗り込んでいきます。なにより人の手の支援が必要なのだと実感しております。

●介護保険適用による支援のスタート

発症2年が過ぎ、併用して使っていたヘルパーさんがやめることを機に家の中を卒業して新たな支援の場を探すことにしました。介護保険の適用年齢になり診断では要介護5、この制度の中では最重度の結果が出ました。身体手帳では時間をかけ2級でしたので、制度の違いに大きな疑問は残ったものの新しい支援のスタートが始まりました。以前と大きく違ったのは、施設と家族のコーディネート役としてケアマネージャーさんが中に入って下さり、家族の声として動いてくださることは大変心強いことです。

介護保険スタートは、オープンしたばかりの通所施設にじの里との出会いでした。言葉での疎通が出来ないということでは、どれだけ気持ちの中を想像できるかが大切であることを改めて気づかせてくれた施設でもありました。スタッフの方々も主人との時間が増えるに連れ、主人の心の中を理解してくれました。週1回の利用が今では週5日お世話になっております。

●支援を通して

支援を通して感じたことは、社会復帰ということには、もう1度ひとと関わりながら生活していくという復帰もあるのだと思います。重度の障害があっても安定した場が見つかれば、言葉がわからなくとも心の通う付き合いが出来ると思います。今まではたくさんのサインを出していたのに気づくことが出来ず、大声や予想外の行動に家族が混乱してしまい気持ちを察してあげる余裕が持てなかったのです。今感じることは、夫にとっては初めて地についた世界であり、言葉も通じない未知の中にたったひとりで立っていたのだと思います。思ったままに気持ちを表現することしか出来ない主人も、どれだけ人として関わりをもつかということで、私はリハビリが成り立たなくても、なにか大事なものは取り戻せたと思っています。そんな中で主人にも人に対し余裕が生まれ待ってもいいよ!という「小さな我慢」という頑張りが見えてきました。多数の支援の場が広がることにより、施設と施設とのつながりも出来、そこでしかできないそれぞれの支援が主人に届き、それがひとつとなり、ようやく人として暮らしていけるのだと思います。

●主人からのご褒美

最後に主人の障害を通し、主人を知ろうとして下さったたくさんの方々、障害を抱えながらも元気を忘れないでいる家族会エコーの皆さんと出会えたことは私にとっては主人からのご褒美だと思っています。妻であり、母であり、そしてひとりの人間として正直葛藤は続いています。夫の人生を私が決めていかなければならない責任の重さに終わりはありません。けれど、今主人はプライドだけは忘れずに生きています。それをこれからも応援したいと思っています。今まで生きてきた記録もきっと大事にしまいながら歩いているのではないかと思っています。

 
サークルエコー行事・会合 

/

施設見学会 「さがみ緑風園」 「あらいその」                                           

/13

TKK     新宿                                  (田)

/20

JDワーキングG    戸山サンライズ                         (田)

/26

日本PTA全国研究大会愛知大会    瀬戸文化センター    (豊、丹)

/

三井CO被災者家族会、大牟田労災病院(清水氏、石原氏、西原氏、忠地氏、田)

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えこーたいむ                      (伊、識夫妻、篠、三 計5名)       

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フジTV スーパーニュース放映

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会合     都リハ                                    (識夫妻)

/

高次脳機能障害者社会復帰支援マニュアル検討委員会    都リハ     (識夫妻)

/17 

えこーたいむ     (渡邉氏、吉野氏、神谷氏、田、西、伊、識夫妻、田川 計12名

/17

「フレンズ・ハウス」開設4周年記念行事「第3回わいわいフレンズ祭り」 (豊、丹、村)

/23

講演会「地域の中の高次脳機能障害」セミナー    横浜ラポール                    (福島氏、葉月社伊藤氏、塚、田、西、伊、識夫妻、田川、片、高、村、篠、三  計17名)

/24

JDワーキングG  児童福祉財団                        (田)

/24   

都公明党要望書検討会       調布総合福祉センター       (識夫妻)

/27

調布市障害者計画策定委員会   傍聴                           (伊)

10/

第10回全国統一パイロットウォーク 文京学院大学 (田、西、伊、識夫妻、田川、高、村 計10名)

10/

障害者福祉論講義に参加   関東学院大学   麦倉氏    (伊2名)

10/

TKK定例会    青山ウイメンズクラブ             (識夫妻)

10/12

TKK都公明党ヒアリング      都庁                  (識夫妻)

10/15

えこーたいむ            (谷、西、伊、識夫妻、田川、高、三 計10名)

10/19

調布市障害者計画策定委員会  傍聴                      (伊)

10/23

「脳外傷リハビリテーションセミナー」     名古屋リハ      (豊、丹)

10/24

あゆたか                           (福島氏、神谷氏、田、西)

10/29

高次脳機能障害に関する講演会  千葉リハ・大塚恵美子氏   市川市急病診療・ふれあいセンター   (村)

11/4〜

   5

エコー合宿   武蔵野市立富士高原ファミリーロッジ(渡邉氏、野々垣氏、麦倉氏、

伊藤氏、松田氏、一場氏、田、西、伊、塚、識夫妻、山内、村田、片、廖、高、篠 計27名)

11/

厚生労働省懇談会       武井氏、東川氏、今井氏            (田) 

11/

メビウスのWA!に参加               (伊、識夫妻 計4名)



パイロットウォークに参加 

10/2(日)第10回全国統一パイロットウォークが開催され、エコーからも当事者・家族・サポーターが多数参加しました。眩しい日差しの中、文京大学をスタートし、根津神社周辺をまわり、ゴールの同大学まで歩きました。体育館での昼食後、人の心に配慮した進行を担うファシリテータの白石啓太氏の軽妙な語り口と掛け声にあわせ、エスニックなドラムを含めた打楽器を思いっきり敲いてヤマハ・ヘルスリズムス「グループドラミング」を楽しみました。(伊地山)

東京パイロットクラブ様より、イベントの浄財3万円のご寄付をいただきました。感謝申し上げます 

 

 画期的な記録集ができた! フジTV スーパーニュース 「忘れる脳との闘い」 


3月9日(会報20号)、622日(会報21号)、96日の3回にわたり、フジテレビの夕方の番組「スーパーニュース」(関東圏)で、サークルエコーの4名に取材した番組が放送され、さらにBSフジ(全国放送)でも計8回にわたり再放送されました。

4人とも、低酸素脳症による高次脳機能障害をもつ人たちです。他の原因に比べ低酸素脳症は、重い症状を示すことが多いといわれ、その点でもサークルエコーはユニークな団体と言われています。そのための取り組みをしているのですが、実態を具体的に理解してもらうことはなかなか難しいことでした。今回のスーパーニュースの取り組みは、低酸素脳症による高次脳機能障害者の生活の様子をシリーズで放送したこれまでに例のない試みでした。高次脳機能障害と低酸素脳症の映像による事例集として、大変貴重な資料が得られました。
・リハビリテーションと周囲の理解による改善の様子(3月)
・感情の起伏を抑えられなかった人に変化をもたらしたもの(6月)
・高次脳機能障害による意欲低下とはどんな状態なのか(9月)
・介護スタッフのかかわりがもたらしたもの(9月)

 ご支援ありがとうございます!!! 

 

☆今年度も賛助会員へのご協力宜しくお願いします☆

年会費(4月〜3月)  1口  2,000

郵便振替        00180-0-546112 サークルエコー      

☆正会員(当事者家族)は、年会費3,000円です☆

 

 会報を読まれて・・・現場の方から寄せられたお手紙より 

 

奥様の手記を読ませていただいて、片岡様の人となりも理解でき、というより、このことについては一番初めに理解しておかなければいけなかったことだと改めて気づかされ大きな反省点であり、反省の機会を与えていただけたことに感謝申し上げます。私どもの施設も10年目を迎えたとはいえ、職員もまだまだ技術も知識もそして社会的にも経験不足であり、一つ一つのことに思い悩み失敗を重ねながら手探りで向かっているのが現状です。こうしたことを書くことは大変恥ずかしいことであり失礼なことと十分承知をしておりますがこれが現実であり、この現実を踏まえた中でご利用者様が、ご家族の方が何を求めていらっしゃるのか、我々がそれに対してどうしたら応えていけるのかご一緒に考え、実現に向けて精一杯努力を続けることが努めであり、責務であると考えております。

とはいえ、正しい方向に向いているのかは常に不安なところでもあります。    私どものセンターで過ごされる全ての時間が片岡様にとって居心地が良いとは決して言えませんし、まだまだ工夫や努力が足りない点を考えると奥様には随分過大評価をいただいているのではないかと時々申し訳なく思うこともございます。が、一番身近でよくわかっていらっしゃる方の言葉は素直にありがたく受け止めると同時に、片岡様ご本人と奥様を教師として教えていただきながらまた頑張っていこうと思います。職員も全員で会報を読みたいと申しておりますしまた読んでほしい内容ですので、事後承諾で申し訳ございませんがコピーをとらせていただきました。至らぬ私どもではありますがどうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。(新磯野デイサービスセンター 施設長  川ア知恵子様か

12月〜2月のエコー行事予定

*えこーたいむ 

12/3・17、1/7・21、2/4・18 (変更する場合があります。ご確認下さい。)

*多摩エコー*  随時      *ナノ*  随時 

*フレンズハウス(瀬戸市)*毎週(月)、 1 3(金、土)、第3(水)

 

 サークルエコー 連絡先 

  田辺 和子(事務局) 〒201-0013 東京都狛江市元和泉2-7-1  TEL/FAX 03-3430-8937

  谷口眞知子(ナノ)    〒340-0822 埼玉県八潮市大瀬1407-119     TEL/FAX  0489-95-5784

  豊田  幸子(フレンズ)   〒489-0987  愛知県瀬戸市西山町1-60-20     TEL/FAX  0561-82-1498

☆ホームページ☆  

サークルエコー

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サークルフレンズ

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<編集後記>

私が住んでいる地域・千葉県市川市でもようやく高次脳機能障害に関する講演会が開かれました。地域での認識はまだまだ初めの一歩に過ぎません。それでもこの一歩があればこそ未来に繋がることを信じて・・・平成18年度から施行される障害者自立支援法が、高次脳機能障害者と家族にとって狭間のない平等な支援となりますように願って止みません。 (村田道子)

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