高次脳機能障害を考える
サークルエコー
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     VOL.17(2004年4月・7月合併号)
5周年記念号

 

 

 

 

 

 

主な内容

感謝をこめて  

5周年に寄せて

会報で振り返る5年の歩み

手記「高次脳機能障害の夫とともに(1) (2)

行事・会合報告

声のコーナー「喜怒哀楽」

                                                                                                                                                           

――― わたくしたちの会は―――  事故や病気によって脳にダメージを受けると、新しいことが覚えにくくなったり、意欲が低下したり、感情のコントロールが難しくなるなどのため社会生活の様々な場面で問題が生じることがあります。このような後遺症を高次脳機能障害といいます。目に見えにくい障害のため、社会の理解を得にくいこと、したがって現行の福祉制度を利用することが難しい点が大きな問題となっています。サークルエコーは、高次脳機能障害をとりまく様々な問題の中で、特に日常生活に「介護」の必要な重度の障害について取り組んでいます。  

 

週末の活動場所「えこーたいむ」 第1・3 (土 ) pm 1時〜5 時

東京都渋谷区神宮前 4−8−9  神宮前作業所内

感謝をこめて 


 
サークルエコーは、本年1月で設立5周年を迎えました。
設立した99年、ついこの前のような気がしますが、その間高次脳機能障害者をとりまく環境は大きく変わりました。   当時は、インターネットで「高次脳機能障害」を検索しても1件もヒットしませんでした。高次脳機能障害という用語そのものがまだ認知を受けていなかったともいえます。今日、高次脳機能障害を検索すると数千のページがヒットします。多くの団体や個人、専門家などの支援者がホームページを開き、症状についての解説、リハビリや制度についての相談や解答、悲しみや喜びが行き交う場が広がっています。

そんな中で、サークルエコーのメンバーたちにはどんな変化があったのでしょうか。出会いは、医療、制度、地域の福祉、さまざまな情報をもたらしました。個人レベルでは、制度が動く前に、情報によって獲得できたものが数多くあります。会員同志、智恵をよせあって、ひとりの会員が得られるはずの支援を検討します。何ヶ月後かに、目指した支援を得られるようになったという感謝のメールがメーリングリストに流れます。

家族会は仲間が出会い励ましあい助け合う場であると同時に、制度を動かすための力にもならなければなりません。多くの方々のご支援をいただきながら、サークルエコーは、6年目に向って歩き始めます。
5年間、どうもありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。   
                                       2004年5月          サークルエコー 代表 田辺和子

デル事業の成果を全国に
  日本脳外傷友の会アピール 


 日本脳外傷友の会(東川悦子会長)は、5月30日、静岡市において、設立4周年総会とシンポジウムを開催し、大会アピールを発表しました。高次脳機能障害支援モデル事業が3年間の成果を発表した直後であり、また、支援費制度と介護保険制度の統合についての厚生労働省の提案に対し、白熱した議論が繰り広げられているというタイミングでもあって、それらを強く意識した次のような項目となっています。


@高次脳機能障害者の生活障害が新しい介護保険制度の要介護認定に反映されること 

A障害者福祉施策として高次脳機能障害支援センターを開設し、支援コーディネーター等の専門家 を配置するとともに、必要な障害者福祉サービスが利用できるようになること

Bモデル事業の3ヵ年の成果を全国に普及させること  (か)

地域と共に考える  調布ドリーム・シンポジウム 

5月23日には、東京都調布市において調布ドリーム主催のシンポジウムが開催されました。調布ドリームは、発足後1年半の若い会ながら、積極的に地域でのリハビリに取り組む先進性が注目されています。この日は、トレーニーと呼ばれる会員達が日ごろの成果を発表し、盛んな拍手をあびました。また、各地から多彩なゲストスピーカーを迎え、地域と共に考えるをテーマに熱のこもった討議が繰り広げられました。サークルエコーは東京高次脳機能障害協議会の構成メンバーとして後援すると共に展示参加しました。(

サークルエコーは、全国の、高次脳機能障害やその他の障害の関連団体と情報交換をしています。特に、構成団体となっている「東京高次脳機能障害協議会」の各団体や、準会員として加盟している

「日本脳外傷友の会」とは緊密な情報交換を行い、さまざまな活動を連携して行っています。

東京高次脳機能障害協議会は、サークルエコーのほか、ハイリハ東京・調布ドリーム・ナナ東京地区会・かつしか・交通事故後遺障害者家族の会・の6団体が加入しています。

「日本脳外傷友の会」は正会員団体、支部、準会員団体、作業所など全国に30団体を擁し、行政に向けて活発な運動を展開しています。


* *  5周年に寄せて ・・・ * * 

                                          (敬称略・50音順)

会合の場を

立教大学 コミュニティ福祉学部教授     赤塚 光子

 サークルエコーの皆様と最初にお会いしたのは、設立数ヶ月後の時期に、私の研究室においでいただいたときだったと記憶しております。障害福祉領域で仕事をしてきた私にとって、皆さんのお話しは、わが国の福祉制度やそれまでに培ってきた支援技術では支援しきれない弱さの部分を、事実をもって突きつけられた痛さを伴う内容でした。その現実をしっかりと見据えることの重要性や、さまざまに生じている課題がご家族を大変な負担の中においていることも一層実感しました。懇意にしている永倉春男氏が所長を務める作業所を会合の場所(えこーたいむ)にお借りできるようにご紹介できたのが、そのとき私にできるせいぜいのことでした。

 方向をしっかりと見定めながら、具体的な一つひとつの課題への対処をおろそかにしないこと、エコーの活動からは、私も多くのことを学ばせていただいております。まだまだやらねばならないことがある、ということも。

 

“サークルエコー創立5周年に心からのエールを!

                                            診療内科クリニック    岩城 弘子

 サークルエコーへ初めて伺ったのは3年ほど前のことでしたか、その頃、ご相談を受けていた西田さんにネットで知った会を紹介したのがきっかけでした。初めは月1回ぐらい参加していて、重い記憶障害を持たれながら個性的でチャーミングなお子様とともに、懸命に高次脳機能障害の実態を社会にPRされているご両親方の姿に接しこころ打たれました。

 サークルエコーのすばらしさは、 まずたゆまず行政にも働きかけ、要望を地域だけでなく、国の施策に反映させるダイナミックな活動にあると思います。また、普通ならくじけそうになるところを、みんなで手を繋ぎ、いつも楽しく踊って乗切っていかれるバイタリティには驚嘆しております。

 ご無沙汰しておりますが、エコーの皆様方の一層のご健康とご活躍を祈りつつ、総会にはぜひお目にかかりたいものと念じております。

“サークルエコー設立5周年によせて”

神奈川リハビリテーション病院 リハビリテーション科
                     大橋 正洋

 厚生労働省の「高次脳機能障害支援モデル事業」は2年間延長され、その中で高次脳機脳障害者の社会生活を支援についての方策が検証されることになりました。有効と判断される方策を示すことができないと、モデル事業だけに終わってしまう可能性もあります。しかし、この3年間に、高次脳機能障害者の存在に医療・福祉および行政に関わる人々が目を向けるようになったことは、大きな変化であり、それ自体をモデル事業の成果と考えることができます。モデル事業終了後に示される施策が、当事者や家族の方々にとって満足できるものになるのかどうか、予断を許しません。おそらく、どのような施策であっても足りない部分は残るのだと思います。行政の対応が充実するかどうかは、当事者および家族の方々の発言が大きく影響します。家族会は発展どころか維持するだけでも大変です。しかし、会員の皆様が助け合って、良い組織を作って下さることを願っています。

“がんばれエコー”               

京高次脳機能障害協議会事務局  高次脳機能障害若者の会「ハイリハ東京」代表
                                     小沢 京子
 サークルエコーの皆様、五周年おめでとうございます。一言で5周年と言っても、様々なことがあったと思います、そしてその五周年の間に何人の人との出会いがあったのでしょうか、悩んで戸惑ってサークルエコーと出会えて助かった方がたくさんいると思います
 いつも、心温まるニュースを拝見していて私もがんばらなければと励まされます。これからも悩んでいる人達の力になってください、そして私ども東京高次脳機能障害協議会と「ハイリハ東京」の良き道標となって下さい、微力ですが私達もこれから皆様のお力になれるよう、福祉、行政に働きかけ少しでも障害をもった者にとって住みやすい世の中にしていきたいと努力いたします。今後とも末永いお付き合いをよろしくお願いいたします。


“サークルエコー5周年に寄せて”  

東京都心身障害者福祉センター 言語聴覚士   柴崎 美穂

5周年、おめでとうございます。エコーの活動が着実に発展してこられたことに、心からお喜び申し上げます。
私が初めてエコーと出会ったのは、平成13年、夏の少し前でした。勤務先の東京都心身障害者福祉センターで、高次脳機能障害に関する事業を担当し、わけもわからないままに情報収集に出かけていた頃です。初めてお邪魔した神宮前のえこーたいむでは、皆さんが、和気あいあいと今後の活動について話し合っていらっしゃいました。その日、活気あふれる渋谷の街を、メンバーの皆さんと一緒に散歩して汗をかいたのを覚えています。一人ひとりのペースを尊重しながら楽しく歩く、エコーの散歩。少し戸惑いながら、「知識としての理解も大切だけど、一緒に歩く、一緒に場を共有する経験を大切にしたいな」と実感したひとときでした。エコーでのひとときは、今も私の宝です。

 

“山椒は小粒だが“

     都立大塚病院リハビリテーション科 (ハイリハ東京支援スタッフ)

鈴木 勉 

エコーとの出会いは、谷口さんが墨東病院の外来においでになったのがきっかけだったように思います。その後田辺さんやKさんともお会いし、またエコーの講演会に呼んでいただいたりして、いろいろ意見を交換するようになりました。エコーの皆さんとのおつきあいは、その後私がハイリハ東京を立ち上げるうえで、大いに参考になりました。エコーの皆さんもハイリハ東京に入って下さったので、エコーとハイリハが、親しい兄弟のように感じています。

エコーは比較的小さな会だと思いますが、活動は個性的、行動は機敏・的確で、まさに「山椒は小粒だが」のたとえ通りだと思います。脳外傷ばかりでなく、低酸素脳症などの病気にも目を向けて欲しいこと、また「介護」にも力を入れて欲しいことを行政に訴えるエコーの姿勢は貴重です。同じ問題を抱える人たちへの情報の基地として、また心の拠り所として、今後の活躍を期待します。

“サークルエコー5周年おめでとうございます”

知的障害者施設 支援職員    武田 大介 

私は、大学の卒業論文を作成するにあたり、いろいろとお世話になりました。当時、ご家族のお話を伺って何よりも驚いたのは、ご家族の知識の豊富さでした。その裏には、ご家族の、わけのわからない障害に対するとまどいや不安、1日1日を無事に過ごしていくのだという日々の積み重ね、そして何よりご本人への愛情があったのではないかと思います。そうしたご家族の姿が、学生であった私にはとても印象的でした。そして仕事をしている今も大切な「原点」のひとつだと思っています。

大学卒業以後は、エコーの会報を読んで勉強させていただいているという状況です。エコー自体も、常にすこしずつ現在進行形でかわりつづけているようで、このエコーの強さはそこにあるのではないかと感じています。      (武田さんは02年3月、サークルエコーを取り上げ、大学の卒業論文を書かれました。)

“設立5周年おめでとうございます”

日本脳外傷友の会 会長   東川 悦子

 日本脳外傷友の会は今年設立4周年を迎えます。準会員として、参加してくださっている、エコーの皆さんの事は、絶えず念頭において活動しているつもりですが、いつも代表の田辺さんから「私たちのことも忘れないでね」と強烈なアピールを頂き、高次脳機能障害者への支援対策を少しでも向上させるための運動を展開してきました。 私たちの会が出来る以前から、国会での議員質問で、初めて高次脳機能障害の問題提起をされたという歴史を担ってこられた田辺さんですから、その主張は当然の事です。私も彼女の幅広い人脈と見識にはいつも敬意を持って、お付き合いさせて戴いています。当事者会はポストの数ほどある方が良いといわれますが、障害者運動として行政や、医療など社会的にアピールするには、単発の力ではどうにもなりません。これからもお互いに、切磋琢磨しつつ、力をあわせて山積する問題の解決へ邁進いたしましょう。


“木を植えた人た”                             フリースペース あゆたか    福島 誠

「心と手をつなぎ合える!人と場所さえあれば、人は、こんなにも暖かく、強くなれる。」各地から集まることができた仲間たち。その一人ひとりが体内から鮮血を吹きあげるような日常を報告する。しかし、その色は、仲間達の共感とまなざしに少しずつ色を薄め、桜色になって行くように思われた。

翌日早朝、相模湾の青い海を見ながら、ハコフグの打ちあげられた砂浜を散歩した。午後、鎌倉へ。佐助稲荷のリスがエサをねだって飛びまわっていた。ダイ、マサ、Yが、階段でその青年像を記録した写真がある。日付は99/05/18、逗子マリーナで行なわれた、エコーの合宿での一コマである。

あゆたかの近くの公園の桜が満開である。これは、30年前に小学生たちが集めた一円募金で植えた100本の桜だ。教え子たちは、もう立派な人の親たち。担任の先生は今年で退職。

 

“サークルエコーとの出会い”2

村上 良太

取材で印象深かったのは3家族がそれぞれ強い意志を持っていることでした。子供を守ろうとする意志、世間に正しく伝えたいという意志、現実と向き合おうとする意志です。ファインダーから、こういうところを撮影してもらいたいという気持ちが見えました。撮影までの長い時間の蓄積がそこにあったのだと思います。

もし、番組が評価していただけたとすれば、画面に映っていないその時間が援護射撃してくれたのではないでしょうか?

(村上さんは00年6月、TBSテレビ「ドキュメントDD」でサークルエコーを取り上げ放映された時の

ディレクターです。)

 

“サークルエコー5周年記念おめでとう!”

        東京高次脳機能障害協議会 代表 ・調布ドリーム 代表  

 矢田 千鶴子

この度は、サークルエコー創立5周年記念、誠におめでとうございます。

会報等、いつも目覚しいご活躍に感謝し、これからの益々のご発展を祈念致しております。

東京高次脳機能障害協議会は昨年の6月1日に、ナナ東京地区会、ハイリハ東京、サークルエコー、かつしか、交通事故後遺障害者家族の会、調布ドリームの6団体が力を合わせて発足致しました。田辺さんには発足時から経験を生かして、副代表を務めて頂き助かっております。東京高次脳機能障害協議会の15年度の活動につきましては、設立趣旨書の作成、設立趣旨書を各方面に発送、メーリングリストを作り情報の交換等、東京都へ要望書を提出、会則の作成、東京都リハビリテーション病院の講習会に実行委員として参加、月1回の定例会定着の中から、他の会や、専門家の先生方をオブザーバーとして参加いただけるようになって来ました。

また高次脳機能障害者のつどい「調布ドリーム」におきましては、サークルエコーさんからも2組のご家族の参加があり、一緒にドリーム風リハビリを続けて1年半が経つなかで、5月23日(日)には「高次脳機能障害シンポジウム」を開催できるようになりました事も、良い出会いがあってこそと感謝しております。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

“サークルエコーとの出会いと取り組み”

                      東京都品川児童相談所 (前東京都心身障害者福祉センター勤務)

                                                            山谷 秀昭

 平成10年、身障センターに、サークルエコーの3名の女性が見え、この障害への理解について話されました。当時、WHO「国際障害分類」改訂で、「障害とは何か?」が改めて問われていました。高次脳機能障害は、障害を「生活をしていく上での困難さ」として着目する点において、重要な意味を持っていました。平成11年、東京都高次脳機能障害者実態調査研究会が立ち上げられ、私は、研究員、調査員として参加しました。その結果を踏まえ、平成13年2月、福祉局は、区市町村福祉関係職員等を対象に「高次脳機能障害者についての講習会〜知られていない障害への理解を深めるために〜」を開催しました。当日、司会の私に、サークルエコーの方々が激励の声をかけて下さいました。皆さんの後押し、支えを感じた瞬間でした。良い仕事をさせていただきました。

**5周年に寄せて・・・** 

   
        “手をつないで”                                                    

サポーター   廖 明子

エコーの皆様とのお付き合いがもう5年?時が過ぎるのは、本当に早いですね!!

 初めてお会いした時の皆様の様子が思い浮びます。緊張と不安で一杯のあの頃に比べて、少しは、自信と余裕と、希望を感じることができますか?ご本人の笑顔が増えましたか?そうだと本当に嬉しいです。 皆さんの努力と、前向きの姿勢と行動には、いつも教えられることがあります。

 渋谷・青山・表参道・とブランド街を闊歩する楽しみをいつまでも続けられると嬉しいですね。

 手をつないで、元気を出して、歩いて行きましょう。

 

“心の友” 

                                            賛助会員   北條 代志江

彼女の声を聞くとほっとする。遠慮がちで控えめな、何とも言えぬテンポのしゃべり方。一瞬で40年前にタイムスリップする。

一緒にやっていたクラブ活動、真夏の炎天下で、汗と埃にまみれ、練習着はドロドロ、毎日必死だった。でも楽しかった。仲間がいたからだ。同じ思いで練習に励む仲間。そんな中で彼女はいつもニコニコほのぼのとしていた。実力があっても、100%力を出しきれないような試合の時、でも彼女はニコニコしながらきっちり自分の仕事をやってのける。信頼度はチームNO1だった。「すごい!!」「さすが!!」の声にも、「一人じゃできない」「みんながいるから」「みんなのお陰」と謙遜しきり。

そんな彼女も先の見えない暗闇にはまってしまった時は、どんなに辛かったことだろう。サークルエコーとの出会いがあって、昔通りの明るい彼女に戻ってきた時は嬉しかった。ありがとう皆さん。これからもよろしく。遠くから応援しています。       (北條さんは会員ヨシ君のお母さんのご友人です)

 

“オーストラリア ブリスベンより”

オーストラリア在住   中川 初穂

サークルエコーの皆さん、長いことご無沙汰してしてしまって、本当にごめんなさい。
今回初めて日本語の打てるパソコンにありつけて、皆さんに連絡しなくてはと思ったわけです。

私は去年の5月にオーストラリアについてから10ヶ月になります。10ヶ月の間に勉強、アルバイト、老人ホームでボランティアをしたり、もちろんコアラをだっこしたり、野生のカンガルーを見たりしました。

 今は、大学に向けて試験の準備をしています。
皆さんはどう過ごしていらっしゃいますか?日本はきっと今の時期、とてもいい気候なのでしょうね。
皆さんとクリスマスパーティをしたのが1年前だなんて信じられません。
とても楽しいときを過ごさせてもらいました。 日本にかえったら、顔を出させてください。
田辺さんのおっしゃっていた、ブリスベン脳損傷団体に行ける機会をうかがっています。またメールします。では、お元気で。

“お散歩タイム

                                             サポーター   高橋 まり子

2000年9月、私にとって新しい場所と新しい人たちとの初めての出会いの日。少し緊張しながら「えこーたいむ」のドアを開けた。「こんにちは。」たくさんの笑顔が私を迎えてくれた。私の心配は不要のものだった。そこに流れている空気はとても温かく、心地良かった。

退屈そうにしていたAさんと渋谷ウォーキングに出かけることにした。Aさんの歩調に合わせ一歩一歩、右へ左へと足の向くままに歩き続けた。秋晴れの土曜の午後、渋谷は若者で溢れていたが、その動きを遮るように歩くふたりにはゆっくりと時間が流れ、何故か街も若者たちも優しく感じられた。お洒落なショーウィンドウや若者たちのファッションに目を見張りながら、うきうきと楽しい2時間があっという間に過ぎていった。その日から彼らと私の「お散歩タイム」が始まった。今もこれからも「サークルエコー」が、そして「えこーたいむ」がある限り、仲間たちと一緒に歩いていきたい。

手話や散歩を共に”

サポーター   篠田 有子

今私は手話の勉強を始めて3年になりました。きっかけは仕事で使えるようになりたいなと思いました。今は少し手話で会話ができるようになりました。えこーたいむでは、みんなで散歩に行ったり、手話を少しだけ教えたりしています。毎月えこーたいむに行くのが楽しみです。

 

5周年おめでとうございます”

                                              サポーター   斉藤 幸子

サークルエコーとの出会いはマサ君の事故からでした。何かお手伝い出来ることはないかと思いホームヘルパー2級を取りました。その頃はまだ印刷関係の仕事をしていましたので土曜日半日で仕事を終え、電車で神宮前へ行き午後の散歩に参加させてもらいました。最初はダイ君との散歩も思うように帰ってこれなくて、四苦八苦したのを思い出します。最初は3家族でスタートしたサークルエコーも会員が増え、01年4月の「いるかの夢」公演ではご家族にも参加していただき、「輪になって踊ろう」を踊ってもらい大成功に終わりました。とても良い思い出になりました。

今、ナノをお手伝いしながらお年寄りのデイサービスに勤めています。毎日が新鮮です。5月より社会福祉主事の勉強をしています。何年先になるかわかりませんが、グループホーム&デイサービスができるのを夢見て頑張ります。

 

“最年少サポーター誕生“

サポーター   田辺 明希子

前々号まで村田さんと編集を担当していた田辺明希子です。
 この度、3日がかりで女の子(3/23、明日花です!)を出産しました。出産前の検診で先生に「もしかしたら4000g近くあるかもしれないよ」と言われてびっくりしましたが、生まれてみたら3330gの普通サイズの赤ちゃんでした。不思議なもので産んだ後は長かった陣痛の苦しみはどこへやら・・・そのかわりにやってきたのが育児の大変さ!!!明日花の異変ひとつひとつに毎日パニックの連続です。お話出来ない明日花に対して、「何で泣いてるの?何で寝てくれないの?」感情的になることもしばしば・・・。(寝顔を見ていつも反省・・・)
その度に、パパや両親、友人、ご近所さんに「大丈夫、大丈夫」と言ってもらい、助けられて何とか頑張っています。 もう少し落ちついて、大きくなったら家族3人でえこーたいむに参加したいと思っています。最年少サポーターになるといいのですが、逆にエコーのメンバーにサポートしてもらうことになりそうですね・・・。


会報に見る、サークルエコー5年間の歩み 

 

 10号 (02年7月号)・・・この号のみ12ページ

 ・特集 「ヘッドウエイ・イースト・ロンドンを訪ねて」

 ・支援拡充について要望書を提出

JTBIA名古屋シンポ)

 ・平成14年度定期総会・決算報告

 ・手記 「回復を願って 新たなる一歩」

☆ 11号 (02年10月号

 ・モデル事業・中間とりまとめに向けて

 ・寄稿 「二人の男」

 ・講師になったヨシヒロへ・・・大師高校生から

 ・手記 「障害問題 わが家の場合」

☆ 12号 (03年1月号)

 ・講演会 「障害者の地域生活を支えるために」から

 ・エコーギャラリー 「逗子合宿に参加して」

 ・エコー家族からのメールより

 13号 (03年4月号)・・・会報サイズがA4に変更

 ・船橋に新しい風が吹き始めて

 ・ケアンズリポート

 ・新登場!声のコーナー「喜・怒・哀・楽」

 ・手記 「介護者になって」

☆ 14号 (03年7月号)

 ・モデル事業・中間報告

 ・声のコーナー「喜怒哀楽」

 ・エコーギャラリー

 ・上高地を訪ねて

☆ 15号 (03年10月号)

  ・第1回意識障害を考える会

 ・手記 「友人に支えられて」

 ・平成14年度決算報告

 ・神宮前作業所(えこーたいむ)が移転

☆ 16号 (04年1月号)

 ・厚生労働省にて懇談・東京協議会

 ・神宮前作業所創立20周年

 ・寄稿「たいせつなきみ」

 ・ハイリハ講演会に参加して

 ・エコーギャラリー「合宿報告」

 ・手記 「過失はなかった」

☆ 創刊号 (00年4月号)・・・B5サイズ、8ページでスタート
 ・
ご挨拶・サークルEcho1年のあゆみ
 ・高次脳機能障害学習会(多摩障害者スポーツセンター)
 ・手記 「7年目の春がめぐってくる」
  2号 (00年7月号)
 ・活動の場ができました(えこーたいむ開設)
 ・実態に見合った援助を(厚生省と会合)
 ・学生無年金障害者とは
 ・手記 「正幸の記録“闇”」

☆ 3号 (00年10月号)
 ・息子が対象者に (船橋市障害者介護等支援推進事業)
 ・作業所ヤモリさん訪問記
 ・日々のくらしをクローズアップ 

(番組・ドキュメントDD感想)
 ・手記 「あれから2年」
☆ 4号 (01年1月号)
 ・厚生省から回答

  (高次脳機能障害者への支援事業の充実)
 ・Echoは遊ぶ!食べる!
 ・U君の事件について
 ・手記 「はじめてのスキューバダイビング、そして」
☆ 5号 (01年4月号) ・・・エコーのロゴ決定!

 ・介護支援を組み入れモデル事業はじまる

 ・いるかの夢・エコーの夢ものせて

 ・社会の受け皿づくり訴え(朝日新聞取材記事)

 ・手記 「アユ遡上調査中の事故でした」

 ・ホームページのお知らせ 8月より再開

☆ 6号 (01年7月号
 ・
平成13年度定期総会 ・えこーたいむあれこれ

 ・手記 「娘を介護する日々の中で」

 ・メイコのいきいきモーニング・放送

☆ 7号 (01年10月号
 ・
船橋の支援事業その後

 ・障害認定など早急な施策を

 ・「フレンズハウス」を開所しました

 ・手記 「希望・生きがいを求めて」

☆ 8号 (02年1月号
 ・高次脳機能障害の若者たちに活動の場を求めて
 ・2002年の夢
 ・ある日のメーリングリストから
 ・手記 「大きな息子と小さなメル」

☆ 9号 (02年4月号
 ・武田さんの卒業論文より抜粋
 ・ナノエコー発足だより
 ・手記 「神奈川リハビリ病院との出会い」


手記・ 高次脳機能障害の夫とともに
 
   
                                                   塚下枝利花              

(1) − 高次脳機能障害と医療・リハビリテーションに思うこと−

● 突然、障害を発症して

  受傷する前とはまるで別人の主人との暮らしが始まり、2年半が過ぎようとしています。主人は急性心筋梗塞を発症して、心肺停止状態となり、奇跡的に一命はとりとめたものの、脳に重度の障害が残ってしまいました。「高次脳機能障害」という医師の診断でした。「もしかしたら、この先、植物状態になるかもしれない、奥さんのことが分からないかもしれない」と、ICUで医師に言われました。そんな言葉を打ち消すかのように、毎日毎日、主人に会いに病院に行き、子どもの声が入ったテープを聞かせ、動かない手足のマッサージを続けました。帰りの車では、決まってとてつもない不安とせつなさで泣きました。それでも、主人はがんばってくれて、一般病棟に移れるまでに回復を遂げました。

● 「ご主人には、リハビリは無理です」

そんな時、転院の話しがありました。それもリハビリテーション界では有名な医師がいる病院と聞いて、これできっとよくなると信じ、3ヶ月待ちの末、転院となりました。その病院で最初の試練に出会いました。主人は脳のダメージがかなり重く、医療の意味、看護の意味がまるで理解できず、意志疎通もまったくできない状態でした。本人にしてみれば、未知の世界であり、不安と恐怖で一杯、すべてにおいて抵抗的で、拒否反応をとってしまいます。また、言葉が出ないので、奇声を発したり、噛みついたりして相手に自分の意志を表し、問題行動をとるようになりました。医師はカバンから、鍵、歯ブラシなどいろいろなものを取り出し認識度を確認し、その様子を見ながら険しい顔をしました。

 転院して1日が過ぎ、診察室に呼ばれました。「専門の病院にまかせた方がいい」と医師は言い、「ご主人にできるリハビリはありません」と家族に続けました。ショックでした。そして、実験をするかのように数人で囲み、こわがる主人に対して、「歩けるでしょ」と手を離した医師、奇声を上げるからとナースステーションにベッドを置き、抑制されたままで食事をし、明るい中でズボンすらはかずに寝ている主人でした。そこでは、たった1日半の入院でした。

 救命病院に再入院となりましたが、ソーシャルワーカーさんからは「ご主人にリハビリをする病院はまずなく、あっても保険外の高額な病院でしょう」と、医師からも「自宅に戻るのが一番です」と言われました。しかし、家族を守ろうと必死に働き、生きてきた主人を、私はあきらめることができませんでした。

● リハビリテーション病院との出会いで主人の残された能力を知る

 そのうち、友人の情報から高次脳障害に詳しい神奈川リハビリテーション病院のことを知り、診察してもらいました。今までのこと、現在の障害の状態を聞いていただき、ここが最後と一縷の望みを託してもいましたが、半ばあきらめてもいました。その時、「病棟に案内してあげて」と先生はおっしゃられ、まだ信じられない私はエレベーターの中で「入院ができないということは、もうありませんか?」と聞くと、ソーシャルワーカーさんは笑って、「ないですよ」と答えてくれました。

 確かに感じることは、この障害は本のマニュアルの通りにはいかないということです。皮肉なもので医療の進歩が生んだ障害であるとも、正直感じます。それならば、新しい障害であることを理解していただきたいと心から思うのです。

 神奈川リハビリテーション病院との出会いで、わが家は救われました。「何ができるか分からないけれど、やってみましょう」と、リハビリテーションのプログラムが組まれました。主治医の先生をはじめ、作業療法士、理学療法士、臨床心理士、言語聴覚士、ソーシャルワーカーなどの皆さんが共通の対応を心がけてくださり、病棟看護士さんは、いつも笑顔で接してくれました。

 ベッドへの抑制は、初日からありませんでした。神奈川リハビリテーション病院に転院時には、食べ物を何時間でも口に含んだままで、取り出すのに大変な苦労を重ねました。そして、病棟の食堂で食事をするようになって1週間を経過した頃、少しずつ食事がとれるようになりました。

 「知的障害者の訓練室なら、障害状態を考えるヒントがあるかもしれない」との作業療法の先生の提案で、病院内の訓練室を使わせていただくことになりました。指導員の方も訓練に参加してくださり、まずは場所の認識から始め、それが馴染んだ頃に懐中電灯のねじ回しを指導員、医師が何度も主人の前で繰り返し見せました。きっか

けとしてねじを少し回しておくと、手にとり最後までしめるという行動が数回みられました。作業につながるような持続性を持つのは無理だけれど、主人の残された能力をこの目で感じることができました。

● そして、在宅生活がスタート

迷惑な患者という看板を私が背負っているかの日々があまりにも続いていたので、頭ばかり下げていたようです。主人は不快だと感じると、時には家族にも手を上げました。主人は、羞恥心が激しく、入浴時は4人がかりの看護となる時もありました。そんな時、「声を出すのにも意味があるはずですから」と笑って声をかけてくれたスタッフの皆さんでした。

私はそうするうちに、「主人と理解し合いたい」そんな気持ちに変わっていきました。主人に笑顔が出てきました。相変わらず、大声は出すけれど、家庭でもう一度生活をとの思いから、在宅生活がスタートしました。

(2)− 障害と制度のはざまでの地域生活 −

● デイサービス先が見つからない

 在宅での生活で最初に困ったことは、まず、日中の外出先となるデイサービスがなかなか決まらなかったことです。主人の障害に合うデイサービスは、そう簡単にみつからないのではと感じてはいましたが・・・。

 保健婦さんに探していただいた痴呆デイケアにお話しに行った時も、受け入れの方向で進めてくださっていました。しかし、奇声の大きさや混乱した動きを実際に見た時に、これほどまではと、はるかに想像を超えていたようで、慎重にならざるをえないといった様子となりました。

 また、神奈川リハビリテーション病院(以下、リハ病院)からデイケア先に対応の指導にきていただいたこともあり、何回か試験的にと、送迎車で送り迎えしていただきました。そして、半日から1日の間、他利用者さんとどう過ごせるか、といったことが検討されました。そのようなことを繰り返しながら、ようやく「らくだの家」の痴呆デイケアが決まったのです。

● 安全に過ごすことが難しいデイケア

 高次脳機能障害者にとって、ここはいろいろと配慮された環境だなと感じました。ドアは徘徊防止のため中からは開けられず、外へ出られないようになっているのですが、部屋の中を自由に歩けて、辺りを見回すとどこに何があるのかが一目で分かるという点も、本人には理解しやすかったのではないでしょうか。ただ、不定期に奇声を発することで、他利用者さんが安心して過ごすことができないという問題はありました。

 そこで、本人の混乱状態を少しでも軽くしたいということで、リハ病院から主治医、作業療法士(OT)、理学療法士(PT)、ソーシャルワーカーの方たちが集まってくださり、デイスタッフとの話し合いを私を含めて行なってくださいました。問題行動の誘発原因などいろんな方面から意見が交わされました。利用を重ねるたびに、主人にとって心地よい時間が増えているように思えました。

 続いて、身体障害者療護施設「れいんぼう川崎」のデイケアにも週1回通えることになりました。利用時の話し合いにもリハ病院のソーシャルワーカー、OT、PTの先生がアドバイスに来てくださいました。主人はどこへでも歩いて行ってしまうため、安全に過ごすにはどうしたらよいのかが一番の問題となりました。

 たくさんの利用者がおられ、スタッフの方も主人だけにずっと付き添っていられるわけではありません。スタッフの方々も苦労の連続であったと思います。(今ではある時間、車いすに安全ベルトをつけて過ごしています)。

 主人が通う月曜日は、自動ドアを手動に変え、外に出ないよう工夫してくださいました。しかし、構造面自体を変えて解決するのは難しすぎることだと思います。目を離さない、これがなかなかクリアできない大きな問題となっているのです。

 その後、ショートステイを希望し、話し合いの結果、まずは日帰りを何度か試みました。けれどその頃は自宅以外に順応するには難しい状態で、一時中断せざるをえなくなってしまいました。

● 泣き笑いの在宅生活

 在宅では予期せぬことがつぎつぎやってきました。別人になった父親と幼い子どもの生活にはデリケートな問題がいくつもいくつも起こることとなりました。子どもたちは、自分たちのごはんを食べられてしまうので、隠しながら食べていたり、夜は父親の不穏から、寝室を別にせざるをえませんでした。夜中、奇声を発してご近所に迷惑をかけてしまったり、いつまでも階段を昇り降りしたり、部屋の中をうろうろ歩き、時に奇声を上げる主人でした。

 同じ部屋で寝起きする私は、2段ベッドの上の段で寝ることにしました。そばにいると、髪の毛、指などをうっかり噛まれてしまうからです。子どもも噛まれます。同室の私はトイレに立つことすらできない日々が続きました。かなり、精神的にぎりぎりのところまできていました。隣室の子どもたちは、父親の奇声を聞いて「警察に通報されない?」「ママの友達、離れちゃうかもよ」などと口にしました。

 きっと、自分たちに重ね、不安で一杯だったんだと思います。時々、主人は目にしたものを口にしてしまいます。いつも子どもの出してある物で、消しゴム、おもちゃ、置かないでと言ったはずなのにと、ついつい責めてしまう私。押さえつけ、スプーンを噛ませ、もう1つのスプーンで取り出す。洗面器を子どもに持たせ、容器に水を入れ、口から流し出すことも何度かありました。主人も必死に抵抗するので、力には負けてしまいそうになり、母、私、子どもたちで口に入っているものを必死に取り出しました。こんなことをしてと、子どもたちの小さな胸の内を知れば知るほど、せつなくつらかった。

 私一人ではもはや不可能となり、実家の母が泊り込んでの介護となりました。今でもそれは続いています。生活の場を変え、60歳代になり、娘の夫を介護することになろうとは夢にも思わなかっただろうに、母は常に前向きに力を貸してくれました。時には一緒に泣き、そして笑ってくれています。

● 制度のはざまでの生活

 福祉事務所に相談しても、24時間見守りが必要なこと、言葉の疎通ができないこと、全介助のこと、すべて話しましたが、決まって返ってくる言葉は「身体的麻痺がないのだから歩けるのでしょ!」の一言でした。特別障害者手当を申請した時も、窓口の担当職員の考えだけで止められてしまい、リハ病院のソーシャルワーカーさんに相談してようやく申請できたのです。本当にどう言っても、主人の状態は理解していただけないようでした。もちろん、麻痺がないことは幸せなことですが、ただ一番大切な脳の部分が身障者手帳にカウントされない制度に疑問を感じます。

 身体障害のサービスを受けることができないために、精神障害者手帳の取得をしました。しかし、精神障害に対してはサービスがあまりなく、バスカードの支給が唯一のものでした。でも、公共の乗り物に乗ることのできない障害者にとっては、あまり支援にはつながらない、そのように思っていた矢先に、保健所のソーシャルワーカー、保健婦さんが精神障害のホームヘルパー制度の話しを進めてくださいました。川崎市で精神障害者ホームヘルパー制度が実施されるということで、申請することにしました。しかし、精神障害者ホームヘルプサービスは家事援助が中心で、身体介護は補助的な支援ということでした。市の担当者との相談により、デイケアに通所しない日に、あわせて週2回3時間、わが家でヘルパーさんが見守り、入浴介助などの身体介護をしていただくことになりました。異食や徘徊のため、1階から2階に行くのもままならなかったので、とても有効なサービスでした。その曜日に合わせて、予定を決めることもできたし、ヘルパーさん一人と主人で家の中にいられる事実は、安全に暮らせるという証明にもなりました。

 子どもの行事、運動会は絶対に応援に行ってあげたくて、担当の方に相談したら、時間外もOKしてくださいました。市管轄の中で、変更するということは、とっても難しいことだと思っていますが、このような支援があることで、在宅での生活が風通しよくなる、そう感じています。非課税所帯なので、費用も無料でした。世帯主が倒れたわが家にとっては本当に助かりました。

*精神認知とOT (青海社)  2004年1月号(1)、4月号(2)より転載。次号に(3)を転載させていただきます。


サークルエコー行事・会合   

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2 /11
2 /11
2 /14
2 /14

公明党市議面談      ナノ       (酒巻宗一氏、谷)

えこーたいむ       (田、谷、識夫妻、田川、、高、 計8名)

東京協議会定例会     都庁内百兆     (谷)  

四谷ライオンズクラブ定例会参加   新宿センチュリーハイアット  (田)

えこーたいむ       (北條氏、田、谷、識夫妻、田川、 計6名)

東京協議会定例会・講演会「高次脳機能障害と家族のために」  都リハ  (田、伊) 

「第2回意識障害を考える会」 名古屋マリオットアソシアホテル  (豊) 

フレンズ 「第4回高次脳機能障害者学習会」 瀬戸市保健センター(やすらぎ会館)(豊)

ナノ 三郷市商工会女性部記念イベント「障害に負けるな」

                  三郷市文化会館小ホール      (谷)   

2 /21

 

えこーたいむ  〜  機械産業記念館・ロボット展見学

(田、識夫妻、田川、、高、村、篠、三浦、計9名)

2  /25

東京協議会定例会 「三澤孝夫氏を囲んで」    国立精神神経センター武蔵病院

   (田、谷、伊、識夫妻、)

3 /6

えこーたいむ 〜 明治神宮散歩        (田、谷、西、廖、篠、 計6名

3 /8

3 /13

東京協議会定例会 「渡辺修先生を囲んで」   都立保健科学大     (田)

ナノ  ミニ文化祭絵手紙展示   三郷市鷹野文化センター     (谷)

3 /13

3 /27

シンポジウム「支援費制度の今後を考える」   町田ヒューマンネット  (田)

ナノ  花鳥ミスタ     水元公園               (谷、他)

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3 /29

4 /3

4 /4

4 /17

4 /21

5 /15

 

ナノ  よさこいアリラン  代々木公園              (谷、他)   

意見交換  厚労省 / JTBIA運営委員会    厚生労働省     (田)  

えこーたいむ 〜 青山霊園散策  (西、識夫妻、田川、塚、廖、村、 計8名) 

ナノ  江戸川舞フェスタ     葛西臨海公園          (谷、他)

えこーたいむ          (田、谷、西、識夫妻、高、村、篠、 計9名)

無年金障害問題国会質問傍聴  国会議事堂 (衆)厚生労働委員会   (谷)

Pilotシンポジウム(MOMO東京パイロットクラブ主催) 神宮前東京ウイメンズプラザ

(田、谷、西、伊、識夫妻、田川、廖、斉、高、村、篠、  計14名)

5 /23

 

5 /29

 

高次脳機能障害シンポジウム(調布ドリーム)  調布市グリーンホール

(岩城氏、福島氏、田、谷、西、伊、識夫妻、田川、新会員・大島夫妻、他 計19名) 

JTBIA運営委員会     静岡グランシップ         (田)

東京協議会        ホテルドルフ静岡         (田)

5 /30

脳外傷シンポジウムin静岡   静岡グランシップ     (田、豊、山、 計4名) 

喜・怒・哀・楽

みなさまからの

おたよりコーナーです。

 

☆ いろんな形の意思疎通                                        塚下 枝利花

ここのところの主人の表情から、たくさんの言葉を感じています!なんだか妙に楽しい時、なんだか妙に腹がたつ時、つまらない時、泣きたい時などなどです。デイ先でも連絡帳には、主人の言葉を代弁してこんな事を言ってそうとお披露目してくれます!そんなスタッフの方々の気持ちが嬉しく思います。言葉の意志疎通もいろんな形があるんだなと思うようになりました!!


 号泣    
                                                会員より

夜中、突然の大声に驚いて飛び起きてしまいました。息子が号泣しているのです。その激しさに、声が掛けられませんでした。「どんな夢を見ているのか、何がそんなに悲しむ事があるのか?」 今迄にも夜中楽しそうな笑い声を聞いた事は2〜3回ありましたが。 男の人でもこんなに激しく泣く事があるんだと、始めて知りました。まいった、まいった。私に見せない息子の心の闇の深さを、垣間見た夜中の10分程の出来事でした。身体的な、脳のリハビリ的な事にばかりに目が向いていて、心の回復、心のリハビリを疎かにして来たのでは?と少し落ち込んでしまった出来事でした。

 喜怒哀楽                                                 谷口 真知子     喜  春の芽吹きは嬉しいですね。新しい命が生まれました。小さな手足を精一杯伸ばし懸命におっぱいにしがみつく姿は回りの人たちの顔をほころばせます。
怒  学生無年金裁判東京地裁判決後、国の控訴とどこまで苦難の道をあるけというのでしょうか? 建前を守ることが先行し当事者の生活を見ない、継ぎはぎだらけの年金改正のもとでまた、制度の谷間に落ちる人が生まれるのではないでしょうか?
哀  しっくりこない真新しいスーツをきた新入社員らしき若者にあうと、まぶしくて、辛い思いがいまだこみ上げてきます。この季節はうれしいはずなのに、病院の廊下と管と扉を思い出します。
楽  エコー5周年をむかえます。当事者をかかえての活動は厳しい日々の繰り返しです。沢山の問題があって、話し合いがあって、意見の衝突もあります。でも、なにより同じ思いの仲間がいて楽しいことも多くあります。

 

  何もしないと不安、だからいろいろやっている                           高橋 俊夫

介護者になっての当初は家事をやっていかなければと通信教育で料理をはじめいろいろ手がけた。続けているのは当然料理(作らねばならないから)と植木屋の仕事(なかなか得意先は増えないが)。料理は手抜きが多くなっているがそれも応用が出来るようになったためかと自分なりに慰めている。娘が同居しているが主食以外はほとんど妻の識代と2人分という気楽さも手伝っているが。植木屋の仕事はストレス解消となり、疲れても、暑くてもあまり苦にならない。冬の間は暇な時だが何かやらないと気持ちが焦るというか、介護の辛さから逃げたい気持ちが沸いてくるためか日曜大工みたいなもので気晴らしをしている。新築現場から端材を貰ってきて近所に縁側の「踏み台」を作ってあげたり。今年は大いに迷ったが庭先が空いているので車庫を完成させた。職人さんの手助けがあったが材料費8万円程で済んだ。次はブロック塀のペンキ塗りを考えている。リハビリはなかなか効果的なものは無いが2箇所への通所と毎日1時間程の散歩は最低続けようと思っている。自分から動こうとしないから(出来ないため)一緒に歩くことが唯一の運動方法だから。こんなことが私の日常だが何とか気も滅入らず過ごせているのもこれらに加えサークルエコーの人達との関わり合いが大いに手助けになっている。

 うれしい変化           
                                   西田 宏美

息子は、喘息により低酸素脳症になりました。新聞の記事をみて、サークルエコーを知ったのは、4年前になります。初めての逗子マリーナでの合宿。「いるかの夢」の舞台出演!!(フィナーレで、輪になって踊ろうを踊ったこと)えこーたいむでの渋谷の街の散歩など・・・色々と体験させてもらいました。 

同時に、あゆたかへの通勤?経路を車からバスと電車に変更していった事。ここ1年半は、調布ドリームに行き、様々なリハビリをしています。当初は30分も我慢できず、「早く帰ろうぜ!」が、始まりましたが、半年くらいたってから、仲間から声をかけてもらう事で、自発性のない息子が会話の中に入ろうとしている姿を見ました。とても嬉しかったです。今もすぐ忘れてしまう障害はありますが、たくさんの仲間が出来て、少しずつですが、変ってきていると確信します。


 障害が重くても軽くても   
                                      豊田 幸子

「障害が軽いため、障害手帳も使えないし障害年金がもらえない。それならなんでも一人で出来るかというと、それも困難!私も若い内は考えなかったけど、60を過ぎて私たちがいなくなったらこの子はどうして生きていくのだろう・・・一人では生活していけないけど、ちょっと支援してもらえたら自分の生活してきた地域で!自分の家で暮らせるのだけど・・・」これは、就業もしている水頭症の息子さんを心配したお母さんの言葉です。
子供の幸せを考える親の気持ちは、障害の重い軽いに関係ないと強く感じさせられました。


 我が家の喜怒楽?  
                                         片岡 法子

  主人の在宅も早一年がたとうとしています。色んな問題も次から次へとありましたが、主人を中心に娘と三人で楽しく過ごしています。主人は意思疎通が難しい中で、唯一娘とコミニュニケーションがとれる遊びがあります。主人は立位が出来ない為、車椅子の移乗はリフターでしていますが、そのリフターに娘がぶら下がり、主人は車椅子に乗ったまま足で娘を蹴って、ブランコをこぐように揺らしてあげます。娘はキャーキャー言って喜び、主人も顔をくしゃくしゃにして笑いながら蹴飛ばしています。どちらが遊んであげてるのかは微妙ですが、お互い自分が遊んであげてると思っているのでしょう。が・・・なんとその蹴る仕草が癖になってしまい何でも蹴ってしまうようになってしまいました。主人には、どの状況でそういう事をしていいのか理解できなかったようです。この間は私が油断してお尻を向けてしまい、後ろから蹴飛されてしまいました。まるでお笑い芸人のように・・・振り返ると主人が楽しそうに笑っていました。

娘は主人に遊んでもらってび、主人もしみ、私はり、これが本当の喜怒です。

あら?哀はどこでしょう?この調子じゃ当分我が家には無縁かもしれません。

 郵便局に行って                                           田川 早苗

 最近、息子は郵便局の用事を喜んでしてくれるようになりました。振込みの時は、番号札を取る事も覚え帰って来ると領収書とおつりを計算して渡してくれます。先日、振込みと小包の発送を頼みました。小包はシールが10枚になると、次回は無料になるカードをつけて渡しました。帰ってきて、領収書とおつりを出しましたので「カードは?」と聞くと「返してくれなかったよ」と申しました。「そんな・・・。だっていつもシールを貼って返してくれるのよ。もう9枚貼ってあったでしょ。どこかに落としたのかしら?」「落とさないよ!返してくれなかったのッ!」と怒り出しそうなので「ああいいの〜〜。又新しいのをもらえば良いのだから。有難う。」と言うと憮然とした面持ちで二階へ上がって行きました。一時間位して郵便局から電話がありました。「先程、小包のカードをお返しするのを忘れました。まことに申し訳ありません。郵送させて頂きます。」早速息子に「郵便局の間違いだったの。ごめんネ。」と謝り、郵便局の悪口をさんざん言ってやりました。

                                                          

ユウちゃん作


ボランティアしてるつもりが

されてるわたし

ご支援ありがとうございます!! 

☆今年度も賛助会員へのご協力宜しくお願いします☆ 

年会費(4月〜3月)  1口  2,000円                    

郵便振替        00180-0-546112 サークルエコー 

えこーたいむ 会場  

 

[住所]

 渋谷区神宮前4−8−9

[交通]

 地下鉄銀座線/

千代田線/半蔵門線

表参道駅下車

A2出口 徒歩3分

正会員(当事者家族)は、年会費3,000円です☆

 

 四谷ライオンズクラブ様より 

  1月22日、新宿のセンチュリーハイアットホテルで開かれた、

四ツ谷ライオンズクラブの定例会に招かれ、高次脳機能障害のこと、

サークルエコーのことについてお話する機会をいただきました。
昨年暮、同クラブ会員の西野氏が、雑誌で高次脳機能障害に関する

記事を目にし、インターネットを検索され、エコーのホームページを

通じてご連絡くださっていたのです。同日の定例会には43名の会員

のうち20数名が参加され、86才の会長さんのご挨拶のあと、壇上

に招じられました。壇を下りると、「知らなかった」「大変だね、今後

お役に立つ事は?」と名刺を出しながら何人もの方が声をかけてくだ

さいました。また、賛助会費10口の贈呈がありました。(か)                  

 

7月〜9月のエコー行事予定

*えこーたいむ 

/3・17、8月は夏休み、9/4・18 (変更する場合があります)

多摩エコー*  随時      *ナノ*  随時 

*フレンズハウス(瀬戸市)* 毎週(月)、第1・ 3(金)、第2・4(土)

 

 サークルエコー 連絡先 

  田辺 和子    〒201-0013 東京都狛江市元和泉2-7-1       TEL/FAX 03-3430-8937

  谷口眞知子    〒340-0822 埼玉県八潮市大瀬1407-119        TEL/FAX  0489-95-5784

  豊田  幸子     〒489-0987  愛知県瀬戸市西山町1-60-20         TEL/FAX  0561-82-1498

 

☆ホームページ☆  

サークルエコー

http://www.circle-echo.com/

ナノ

http://nanotokyo.hp.infoseek.co.jp/

サークルフレンズ

http://cfriends.at.infoseek.co.jp/

 

<編集後記> 

絶望と暗闇の中、まだ社会に殆ど認知されていなかった同じ障害を負った仲間を求めて、やっと出会えた3家族。

そして生まれたサークルエコー。あれからもう5年・・・今では当事者会員が40名に増え、新たに受傷された方々にとっての相談窓口や道標の役割も担っています。みんな、もう一人ぼっちじゃない・・・しかしまだ5年です・・・サークルエコーは、親や介護者が亡き後も安心して暮らせる道が開けるまで、希望を持って歩き続けます。たくさんのご支援ありがとうございます。これからもどうかよろしくお願いいたします。                 (村田道子)                                                                  

 

サークルエコー事務局   〒201-0013  東京都狛江市元和泉2−7−1   田辺方   TEL/FAX  03-3430-