高次脳機能障害を考える
サークルエコー
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             VOL.11(2002年10月号)

        主な内容                                                              

・モデル事業・中間とりまとめに向けて
寄稿 「二人の男」
講師になったヨシヒロへ・・・大師高校生から
・手記
「障害問題   我が家の場合」
・行事・会合報告・エコーギャラリー
――― わたくしたちの会は―――  事故や病気によって脳にダメージを受けると、新しいことが覚えにくくなったり、意欲が低下したり、感情のコントロールが難しくなるなどのため社会生活の様々な場面で問題が生じることがあります。このような後遺症を高次脳機能障害といいます。目に見えにくい障害のため、社会の理解を得にくいこと、したがって現行の福祉制度を利用することが難しい点が大きな問題となっています。サークルエコーは、高次脳機能障害をとりまく様々な問題の中で、特に「介護」の必要な重度の障害について取り組んでいます。                                                                             

週末の活動場所 「えこーたいむ」 1・3(土 ) pm 1時〜5 時

     東京都渋谷区神宮前 5-30-3  ニューアートビル4階  神宮前作業所

 モデル事業、中間とりまとめに向けて  

                                    田辺和子

 9月20日、新宿の戸山サンライズにおいて、高次脳機能障害モデル事業の中間とりまとめを前に、厚生労働省・国リハと障害者団体との会合が開かれました。厚労省から藤井氏、川島氏、国リハからは、佐藤氏(支援)・中島氏(評価基準)・長岡氏(訓練)・寺島氏他、障害者団体代表として、日本脳外傷友の会から東川会長他、高次脳機能障害家族会から鈴木会長他、サークルエコーから、田辺、谷口が出席しました。平成13年度から3ヵ年にわたるモデル事業は、この秋の中間とりまとめを持って16年度からの施策への展開がなされるとのことです。11月には全国連絡調整委員会が開かれ中間報告がまとまります。
 会合で、日本脳外傷友の会は、支援センター設置や障害間の相互利用制度の拡大など支援施策について、高次脳機能障害家族会は一刻もはやく在宅者の支援をと訴え、サークルエコーは、低酸素脳症などの重度の高次脳機能障害者の団体としての問題点を指摘し、次のような具体策を要望しました。

  要望素材                             
○ 実情に応じホームヘルパーの派遣などの日常生活の支援を。
  見守りが必要な者は多い(難病のように、手帳所持に限定しないヘルパーの派遣)。

○ 記憶障害、失認、失行など、高次脳機能障害の症状をカウントし手帳の級数を上げられるような項目を設ける。

○ 身辺処理に介助が必要な障害者には東京都の重度介護手当てに相当するような介護への経済援助を望む。

○ ガイドヘルパーの派遣(記憶障害、地誌障害、奇異な行動、交通機関の利用などに切実なニーズ)

○ 身体、知的、精神の通所・入所施設の利用への助成。
  「相互利用が可能」という通達だけでは現実の受け入れが難しいことが多い。特有の症状や行動への対応の困難さが、施設だけの負担になるのでは、利用を歓迎されない。
  高次脳機能障害の枠を設け、高次脳加算やIT設置(居場所の検索など)、常時見守りが必要な場合はスタッフの増員などが必要。

○ 支援費: 手帳は便宜的にとれるものでとっているケースが多い。それを補うためには、ケアマネジメントにより実態の不便・不都合がカウントされるような調査項目が必要。また、精神手帳では支援費の対象にならないのは問題である。

○ 精神手帳: 施設の相互利用の推進などで、生活支援や介護がある程度 充実しても、雇用率のカウント、高速道路割引、JR割引、介護者割引、駐車禁止除外ステッカーなど、社会参加への不平等が残るのは問題。また、事件・事故の知事への報告、公営住宅入居に際し拒否、飛行機の搭乗拒否、市営プール利用拒否の例など他の手帳にはない問題がある。

○ 重度の行動障害に特別の施策を。行動障害のため、病院につれていけないような場合、診断・治療がうけられないばかりか、手帳さえとれないことがある。在宅医療の助成、免除など。

○ 市町村などの単位では、作業所やグループホームの設立が難しい。地域の枠を越えた援助を。

○ モデル事業は、実施団体がリハビリ病院となっている。福祉資源の情報と対応の力量が不十分な場合もある。福祉分野からの参入を望む。

○ 医師、ST、PT、CWなど 医療従事者が、手帳や制度を意識するようなチェック書式を義務づける。関心と知識のない人に担当されると、適切な福祉がうけられないことになる。

○ 行政の相談業務が現実の障害者のニーズに応えていない面もあるため、各障害者団体が肩代わりしている。協働事業として場の提供や、福祉課の相談業務の委託扱いとして支援を。

○ 介護のために退職に追い込まれている家族も多い。養育の必要な世代の子弟のいる家庭は経済的なものだけでなく、精神的にも多くの問題を抱えている。障害者を囲む家族への支援を。
 川崎市宮前区の「フリースペースあゆたか」。7年前、あゆたかをスタートさせた福島さん。当初の思いそのままに、ともすれば制度が作った障害の種類や程度でくくられてしまいそうになる人たちと、1対1、人間同士のつきあいを続けている。高次脳機能障害。様々な点で現行の制度に合致することが難しいと言われている。しかし、ひとりの人間として向き合う人に見える彼らの姿は、なんと生き生きしていることか。

二人の男            福島 誠(あゆたか) 
もう一人の俺”…………ヨシヒロのこと
 ‘02年9月16日(雨)  8時50分、あゆたかの電話が鳴る。「あっ、西田ですけど、これから家を出ます。奈良北団地から、青葉台行きのバスに乗ります。」 「西田です。今青葉台です。青葉台から溝の口へ行きます。溝の口でまた電話します。」 「溝の口へ着きました。バスで平橋へ行きます。」
9月5日から始めた、バスと電車での通勤「おはようございます。」と元気にあゆたかに着くのは10時20分。残暑が厳しかったり、大雨だったり…。母親の運転する車にふんぞり返ってのあゆたか通いとは天と地の差。どちらが天で、どちらが地か。移動の保障は、人間にとって基本的な生存権だろう。その自由は親とて同じだ。
  9月16日(木) @OK、IKUTAに買いに行く。 リョクトウモヤシ・ランギリウドン・ヤキソバマルチャン・アキタブタモモニク ギリダイを買いました。全部で727円。あゆたかに帰って、肉野菜炒めを作ってうどんに入れて食いました。 A 笑っていいとも”と“ごきげんよう”を見ながらうどんを食いました。 B 今、日記を書いています。 C これから、スケッチ(鬼の面)をします。 D 終わったらば、宿河原東住宅に掃除に行きます。
 週2回(月、木)あゆたかに通ってきている男はいくつもの仮面をもっていて、相手により、場所によりうまく使い分けている。そんなおのれを“もう一人の俺とつき合う俺”とヨシヒロは言う。
“鍵”…………ダイのこと
 バリアフリーは、まず建物から、と、主な柱だけ残して改築したあゆたかが完成した7年前、男は部屋に入るとベッドの上に何枚も重ねられていたマットめがけてダイビングをはじめた。楽しいぞ!お前もやってみろよ、と誘われているようで私もやってみた。楽しかった。2人のよい出会いになった。
 男は早大の4年生で4月から大学院に進学しようとしていた矢先。喘息によって呼吸停止となったあと、全く異次元の世界を歩まざるを得なかった。それは家族も同様であった…、という。
 「おまえ、ワセダの出身なんだってな。じゃあ、歌ってみろよ。“ミヤコノセイホーク ワセダーノ モーリニ ――”」と私は大声を出した。するとニタリとした男が“ワセダ ワセダ ワセダ ワセダ…”と歌いだした。夕焼けのきれいな登戸の町だった。
 若くて、きれいな女性が好きな男は、25歳のハンサムを売りに、ボランティアさんたちとすぐに仲良くなった。私の娘、真美と男は特に気が合っていた。
 「いい娘だな!」とばかりに頭をなぜたりしてうれしそうだった。多摩川でボートに乗った2人は兄妹のように輝いてゆれていた。男は年増の女性にも気があり食事の支度をしているボランティアの映子さんのそばによって行っては、つまみ食いしたり、盛り付けを手伝ったり、配膳に活躍したりして、点数をかせいでいた。これはこれで姉と弟のようなほほえましい光景だった。
 “マタ アウーヒーマデー”と尾崎に続き、チェリッシュのてんとうむしのサンバへ。あゆたか号は明るい歌の中を走り続ける。男は大の音楽好き。ミラーを見ながら私は後部座席にあるバックとファイルを指して男に「それ取ってちょうだい」と言うと男はさっと手をのばして取ってくれた。「アリガトー ゴザイマシター」と男の口真似で礼を言ってみた。男はうれしそうな顔をミラーに写した。これを見ていた勇介君、僕の帽子を取って差し出した。男すかさず「ドウゾ!」と如才ない。車の中では拒食を忘れてしまう勇介がりんごをまるかじりしている。それを見ていた男、勇介を指差して「おいしい?」。
 あゆたかのワゴン車の中は、いつもおいしい話の宝庫だった。この日はこんなこともあった。男は時にエラソーになる。夕食が済みいつものように「アアー、オイシカッタ!」と言い、ボランティアの映子さんに向かって旦那のような口振りで「お茶!」。うそのような本当の話。 (‘98年4月1日)
 勇介君が18歳で望まぬあの世へ去って2年。映子さんが7年間の闘病の末召されて1年。これはうそであってほしい話。
  男の話………
 「自分の物は、自分の責任において管理する。」これは、高校生時代から私の抱いていた鍵への憧れだった。今私は「自分の心は自分の責任において管理する」という思いが強い。大人としての鍵への思いだ。そんな心の扉を開くたった一つの鍵は“お互いが相手の心を開くカギを持ち合う”ということだと思っている。そんな仲間との出会いを、僕は、今か今かと待ち望んでいる。待っている。  ダイ  
講師になったヨシヒロへ…大師高校生から
 川崎大師のお膝元、神奈川県立大師高校。あゆたかの福島氏はここで福祉の授業を受け持っている。6月28日、ヨシヒロは当事者講師としてその教室で高校生と触れ合った。高校生たちの目に記憶障害を持つヨシヒロはどう写ったのだろうか。(敬称略)
    記憶障害を持っていると自分が朝、何をしたか、何時に家を出たかなどがわからなくて毎日、大変な思いをしているそうです。それでも一生懸命、大師高校を訪問して話をしてくれました。記憶障害を持っても前向きに生きていこうという気持ちが感じられました。(小見飛鳥)
    ヨシヒロさんは青い車が好きでよく海に行くと言っていました。ヨシヒロさんが「オレは生き返った」ということが今日貰ったプリントに書いてあったけど、私はヨシヒロさんの生き返る前と生き返った今、どっちのヨシヒロさんが青い車が好きで海が好きなんだろうと思った。でも授業をしていって今は、生き返るとか生き返った今とかじゃなくて、今も前も合わせてヨシヒロさんなんだって思った。うまく言えないけど“中途障害”って何か別の人になっちゃうみたいな感じを私は思ってたけど、ヨシヒロさんっていう人を少し理解できたのかなと思う。(中嶋かすみ)
     確かに昔と今とは違う部分もたくさんあると思う。でも昔の彼がイキイキしていたみたいに、今の彼にしかできないこともたくさんあるだろうし、絵を描くという才能も見せて貰えた。(金井真理子)
     今日はヨシヒロさんに似顔絵を描いてもらいました。筆でさーっと描いていましたが、よく特徴をつかんでいてとても上手でした。ヨシヒロさんのように前にあった出来事を忘れる障害を持っている方には会ったことがないので、全く想像がつきませんでした。ヨシヒロさん、ありがとう。(田中好美)
     ヨシヒロさんに会って僕はラッキーだなって思います。実際に会って色々な話をしていただいたことは、これからの僕の財産になると思います。ありがとうございました。(村瀬隆之)
     最初ヨシヒロ君を見て驚いた。すごく私達と同じで障害者なんて全然わからないと思った。でもそっちの方が大変なことが多いのにも驚いた。確かにヨシヒロ君が迷子になっても気付く人はいないかも知れない。(早坂亜衣)
     彼は24才の時に、トラックで配達中に喘息の発作を起こし意識障害になってしまった。だけど彼は内職をしたり、地域の掃除をしたりして一生懸命生きています。(角ゆかり)
     首から下げているセコムのやつ。あれはヨシヒロ君がどこにいるかすぐ分かるいわば探知器!!
自分が今どこにいるのか…それが分からないってことはすごく大変なんだってことが、少し分かった気がしました。“自分の中に2つの世界がある”というのはすごいって思いました。(望月奈津美)
     私は記憶障害を持つ人への考え方がとても甘かったです。ほんの1分前のことも消え去ってしまう             
ほどの障害とは思っていませんでした。(杉山さよこ)
 この他にもたくさんの感想文を戴きました。大師高校の皆様、ありがとうございました!!!
 4年前、あゆたか通信に書いた原稿です。「他の人はどこにどうしているのだろう」と書いた半年後に2人の仲間との出会いがあり、サークルエコーが生まれました。息子が倒れて6年目のことでした。家族会も次々に設立されました。昨年からは、3ヵ年計画で高次脳機能障害モデル事業が実施されています。「一刻も早く実態に見合った施策の実現を」、4年前の願いが現実となることを、今は仲間たちとの活動を通して訴えています。我が家にしても「次」を考える時期にさしかかりました。
 障害問題わが家の場合                                    田辺 和子
  長男が出張からの手土産を持って久しぶりにやってきた。同じ市内に住んでいるのに、普段は電話さえめったにかけてこない。しかし旅に出ると逆に故郷を思い出すのだろうか、出張先の駅頭から「みやげは何がいい?」と短かい電話がしばしばかかってくる。数日後には、地方の名産品を携えて玄関先にぬっと現れたりするのだ。リビングではさっそく兄弟の乱暴なスキンシップが始まる。兄が弟の肩に手をまわし、ソファに押し倒す。兄の体重の下で起き上がろうともがきながらも嬉しそうな表情の弟。二十代も後半の兄弟がまるで子供のようにじゃれあっている。しかし二人はこのような方法でしかコミュニケーションのとりようがなくなってしまっているのだ。

 

 五年前、大学四年生の時、次男は持病の喘息がひきがねとなり、心肺停止を起こし、後遺症でことばを失った。記憶も理解力も日常の身辺処理の能力さえも失ってしまった。その後、肉体的にはほとんど完全なまでに回復してきたのだが、すべての過去を失い赤子同然となって新たな人生を歩まなければならなくなった。私にとっても、まわりのすべての事物が突然色を失い、足元も宙に浮いているような日々だった。
 一年の入院生活は、知力の回復という面ではまったく無意味だった。医学の専門性に何とか希望を見出したかったのだが、回復どころかむしろ後退しているという思いが次第に強くなっていった。退院させると主張する私に、家庭でどうやってケアするのか、そんなに退院を急がなくても…と医師も家族も言った。
 しかし、私にはもう、病院のベッドの上での安全なだけの入院生活をそれ以上続けさせる気はなかった。
家族と過ごす日常の雑多な刺激の中での生活は、回復を促進させるかもしれない。危惧する周囲を説得し、急ごしらえのリフォームを施した家に息子を連れて帰った頃、テレビは彼の同級生の卒業式の様子を伝えていた。少し時間はかかっても、きっと大学に戻れる日が来るはず、夫とそう言い合って、ことさらに頷きあったのだった。大学にゼミの延長を申し出たり、回復後の彼が浦島太郎にならないよう新聞記事を整理したりもした。どのような支援を受けられるかと福祉事務所にも相談に行った。介護を援助してくれる人手も必要だったし、専門家のアドバイスも受けたかった。しかし、日常生活のすべてに介助が必要であっても、身体に障害がない彼にはデイケアの場さえないのだった。思い悩んでいた時、近所の民生委員を中心とするグループや古くからの友人たちが、「私は◯曜日には伺えるわ」とボランティアを買って出てくれた。夫のいない日中、何処までも落ち込んで行きそうになるのを支えてくれたのはこの人達だった。その支援は、形を変えて今なお続いている。
 一方、公的支援ということでは、あっちでもこっちでも弾きとばされるような思いを続けていた。法律では、知的障害者を精神薄弱者と呼び「生まれつき又は十八歳までに発症した人」と定義づけていた。法は、成人後に知的障害者になった者の存在を認めていないのだということを知った。しかし、都に対して、市に対して、福祉に携わる人々に対して、何とか突破口がないものかとやみくもに訴え続けているうちに、国会でこの問題を取り上げようと云う議員と出会った。1996年2月の厚生省予算委員会で息子の事例が取り上げられ、国政の場ではじめて、成人後に知的障害になった者の存在が明らかにされたのである。当時、エイズ対策で国民的人気を得ていた厚生大臣は、法の不備を認め、障害者プランの中で、法の狭間にいる人達への対策を講じることを約束した。その結果、同年4月には、厚生省に研究班が出来、実態調査が開始された。97年12月の厚生白書にも取り上げられ、明けて1月、調査結果が、朝日新聞などにトップ記事として報じられたのを皮切りに、「高次脳機能障害」という難しい障害名が、新聞、テレビにしばしば登場するようになった。思いがけない素早い展開であった。同志をみつけられず、一人で議員会館や国会に何度か足を運びながら、他の人たちはどこにどうしているのだろうと、遠くへ思いを馳せながらの交渉だった。
 しかし、それはまた、手ごたえを感じられる日々でもあった。制度化にはまだ時間がかかるだろうが、その方向に向けての歩みは始まったものと解釈している。
 この間に、「あゆたか」* 福島氏との出会いがあった。国や都の施策の貧しさ、公平を欠く扱いに失望していた時に、制度の堅さを取り払って「あゆたか」をスタートさせた氏の柔軟な発想と行動に接し、いじけた心が解放される思いであった。氏との会話を重ねるうちにやっと息子の障害の実態も見えてきた。同時に彼に必要な事もはっきりしてきたので、具体的にターゲットを定めて交渉を始めるようになった。
 昨年ようやく希望が叶い、地域の重度知的障害者訓練施設に通所出来るようになった。息子が安心して過ごせる場所を得たことで、今はほっと一息というところである。振り返ってみれば、ここにたどり着くまでに、実に多くの人が心細い一家を支え続けてくれた。孤軍奮闘という気になったこともあるのを恥ずかしく思う。 
 「泊って行けば」と声をかけたのに、あっさり断って、長男はほろ酔い気分で帰って行った。彼にも過酷な五年間であった。誰よりも信頼し、くったくなく人生の夢を語り合える弟を失ってしまった。弟の介護の負担さえも、将来的には唯一の肉親となる彼に残されることになる。国が認めるところとなった「高次脳機能障害」に、一刻も早く実態に見合った施策の実現を望んでいる。長男にはせめてもの自由を保障してやりたいし、その上で、自分の力で逞しく将来を生きて行って欲しいと願っている。 (‘98.11 あゆたか通信より ) 

 

*「あゆたか」  フリースペースあゆたか。 民間障害者支援施設。 
  川崎市宮前区 (代表)福島誠氏

 多摩エコーだより 
 8月11日(日) 調布の高次脳機能障害者の集いがありました。第1回目の様子は会報誌9号で紹介しましたが、その後月に1〜2回ずつ会合が持たれ今回参加者の挙手により名称が「調布ドリーム」と決定。サークルエコーから田辺、西田(母子)、塚下、伊地山(母子)が参加。10月から週2回(火、金)のペースで当事者と家族が共に協力しあいながら、リハビリも兼ねた集団による影響力の、より良い効果を期待しつつ活動していくこととなりました。(と)   
 ナノだより 
9月14日、国立精神神経センター、ソーシャルワーカー、三澤孝夫氏を囲んで、茶話会を開きました。狭い場所で、ドーナツをほおばりながら、それぞれの状況、悩んでいること、今後のこと等、話し合うことができました。28日に、三澤氏は、研修の為、ロンドンに旅立ちました。三ヵ月後の帰国、今から指折りかぞえて待っています。(ま)
 フレンズだより 
 9月22日(日)、「フレンズ・ハウス」開設1周年記念行事を開催。午前の部は、愛知県立大学の吉川先生に「脳の機能について考えてみよう」というテーマで約1時間講演をして頂きました。午後の部は、皮工芸体験教室で花のブローチ作りや、ケーキとハーブティーで楽しいティータイムとバザーも。多くの方々のご協力に感謝しています。参加者の中に市会議員・保健所・市役所・社会福祉協議会などの方々もおられ、1年間の活動の中で出来たネットワークを感じました。(ゆ)
サークルエコー行事・会合    

6/29

ハイリハ東京・世話人会      都庁

7/6

えこーたいむ

7/13

足立区高次脳機能障害・講演会   足立ギャラクシティ

7/20

えこーたいむ(焼きそばパーティ)

7/22

高次脳・東京都事業について懇談    都庁プチモンド 懇談
都庁医療サービス  

7/27

ハイリハ東京・定例会    江戸博物館・会議室 

7/28

若年痴呆の会     飯田橋ボランティアセンター 

8/1

特別障害者手当てについて話し合い    川崎市・あゆたか 

8/2

各団体懇談会      水天宮ジョナサン 

8/11

多摩エコー    調布たづくり  

8/15

スペシャルオリンピックス開会式      代々木   

8/17

高次脳機能障害セミナー2002   かながわ労働プラザ 

8/20

施設見学会      パサージュいなぎ  

8/23

高次脳・東京都事業委員会      都リハ病院   

8/26

各団体懇談会      都庁プチモンド    

8/27

無年金障害の集い     厚生労働省前 

8/31

アジア太平洋障害者の10年・東京フォーラム    霞ヶ関灘尾ホール  施設問題研究会    手をつなぐ育成会会議室 

9/7

えこーたいむ

9/14

国立精神神経センター(三澤氏)との懇談     足立竹ノ塚センター  

9/19

相談窓口    相模大野  

9/20

会合   モデル事業中間取りまとめに向けて    戸山サンライズ     

9/21

えこーたいむ (ゲーム大会) 

9/22

講演会「べてるの家」     川崎市民プラザ 

9/24

相談窓口      金沢国際ホテル       

9/28

ハイリハ東京・定例会      浅草橋区民会館    

10〜12月のエコー行事予定    
えこーたいむ  10/5、19、11/2、16、12/7、21    逗子合宿 10/26〜27
○多摩エコー  随時   ○ナノ  随時   ○フレンズハウス(瀬戸市) 毎週(月)、第1.3(金)、第4(土)
新会員です。よろしく!!!
     この度サークルエコーに入会させて頂きました茅ヶ崎市に住む外丸ひろみです。昨年11月夫の外丸進が急性心筋梗塞で倒れ、低酸素脳症になりました。現在は自宅にて通院しながら療養中です。毎日の介護にゆとりのない状態ですが宜しくお願い致します。(外丸ひろみ)
     子供が宇宙人になって一年。時々怪獣になったり、赤ちゃんになったり、何が起きているのかわからず、悩み、苦しみ、泣き続けていました。そんな時サークルエコーを知り入会させていただき、仲間に出会えて、真っ暗闇の中で生きる力をいただきました。これからよろしくお願いします。  (匿名希望)
  今年度も賛助会員へのご協力、宜しくお願いします。  
年会費 (4月〜3月) :  1口  2,000円 
郵便振替  :  00180−0−546112   サークルエコー
エコーギャラリー・夏休みの一コマ
夏休み、恒例の帰省、お墓参りを今年はとりやめ暑い東京、クーラー全開のなかで過ごしました。生活習慣病、一歩手前の、育ちのよい?父と息子とメル(犬)を怒鳴りつつ、ひきつれて、水元公園の散歩三昧でした。木陰の中、ハンモックで昼寝中の人うっとおしい程のセミの声、四季の移り変わりを水元公園は、いっぱいみせてくれます。
心配してくれる友人たちの、「近頃、ど〜お?」という電話「う〜ん、相変わらず・・・・二人とも元気だよ・・・」いろいろとありがとうございました。去年と、変わらず元気で親子ともども夏を、のりきりました

                         マサの母   

ユタカの宝物  レイナちゃんがやって来た!!!
レイナへ
お前ずい分大人っぽくなったと思った。ここには、土地も家もある。
だけど家族がいない。家庭がないんだよ。また来年遊びに来いよ。
待ってるよ。
                                                       父より
ユタカ家恒例のレイナ台風が今年も来ました。周りを孫まごハラハラさせて去って行きました。
こんな台風なら何回上陸もOKよ!

                   ユタカの母

今年の夏は桃狩りをしました。福島へ行きました。(新幹線で)
とりたての桃は美味しかったです。

            ユウコ作

 サークルエコー 連絡先 
  田辺 和子    〒201-0013 東京都狛江市元和泉2-7-1       TEL/FAX 03-3430-8937
  谷口真知子    〒340-0822 埼玉県八潮市大瀬1407-119          TEL/FAX  0489-95-5784
  豊田 幸子     〒489-0987  愛知県瀬戸市西山町1-60-20         TEL/FAX  0561-82-1498
☆ホームページ☆  
  サークルエコー     http://www.CIRCLE-ECHO.COM
  正幸の父           http://www5b.biglobe.ne.jp/^Masa-Ta/indexhtmi.htm

                                                                                                                                                                       

  サークルエコー事務局   〒201-0013  東京都狛江市元和泉2−7−1   田辺方   TEL/FAX  03-3430-8937
<編集後記>
中間とりまとめに向けてサークルエコーの要望を提出。実態にあった福祉の実現はいつの日?
                                      (村田 道子)
ヨシヒロの講師体験みたいに、エコーの皆んなが、普段の家族との生活とは、まるで違う世界に触れる機会がたくさんできるといいな!
                             (田辺健一郎、明希子)